78年の沖縄県知事選に勝利した西銘(C)時事

 

「ヤマトンチューになり切れない心」

 「沖縄の心とは何か」という記者の質問に対し、第3代沖縄県知事の西銘(にしめ)順治(じゅんじ)が即座に答えたのが次の言葉である。

「それは、ヤマトンチュー(大和人)になりたくて、なり切れない心だろう」

 1985年7月20日の『朝日新聞』に掲載されたこの発言は、沖縄県内だけでなく全国的に大きな反響を呼び、沖縄県民の複雑なアイデンティティを表現した名言として今なお引用される¹

 日本復帰以降、屋良朝苗、平良幸市と革新県政が続いてきた沖縄県において、78年に沖縄県知事となった西銘は、自民党に所属し、日米安保体制や自衛隊を支持するという保守の立場から3期12年間にわたって県政を担った。その長期にわたる強力なリーダーシップと存在感から、沖縄において80年代は「西銘順治とその時代」だったといえる²

複雑な西銘の思想と行動

 西銘の「ヤマトンチューになりたくて、なり切れない」という言葉は、その県政についても言い表している。

 一方では西銘は、日本政府との連携、あるいは沖縄の「日本化」政策を推進した。第2二次沖縄振興開発計画が策定され、日本政府の強力な後押しによる沖縄の経済振興を目指したのである。

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