志賀海神社(福岡市東区志賀島)の境内にある鹿角堂には、大量の鹿の角が奉納されている(筆者撮影)

 いよいよ、スサノヲの正体に迫ってみたい。スサノヲは創作された偶像なのか、あるいは実在したのだろうか。モデルがいたとしたら、どこからやってきたのか。どのような業績を残したのだろう。

藤原氏の政敵の祖?

 神が実在したなどという発想は、非常識と思われるかもしれない。しかし、スサノヲは日本海を股にかけて活躍した英雄だったのではないかと疑っている。そう考える根拠は、いくつもある。

 まず第1に、考古学が多くの常識を覆し、ヤマト建国に至る道のりをほぼ解明してしまい、神話の一部が、歴史をなぞっていた可能性が出てきたことだ。『日本書紀』はヤマト建国の歴史をお伽話にして真相を抹殺してしまったが、隠しきれなかったいくつかの史実が残っていたと思えてきた。

 第2に、神話の世界に勧善懲悪の論理が導入されていた点が問題となる。

 中国では、歴史書は王朝交替の後に記された。新王朝が前王朝を倒し、世直しをした正当性を証明するためだ。しかし日本では、養老4年(720)の『日本書紀』編纂時、「王家の交替」は起きていない。その代わり、実質的な支配者層は入れ替わっている。ヤマト建国時から続いた旧豪族はほぼ没落し、藤原氏のひとり勝ちの時代が到来したのだ。だから『日本書紀』では、藤原氏の最大の政敵・蘇我氏はとことん悪役に仕立て上げられた。ただ、謎めくのは神話にも悪神が登場していた点だ。アニミズムや多神教世界の「神」に善悪の基準を当てはめることはできないからだ。

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