西銘順治:巧みに利用した「基地問題」というカード
2022年7月3日
1978年12月14日、西銘順治は復帰後3代目の沖縄県知事に就任した。12月19日の沖縄県議会での初の所信表明演説で西銘は、「超党派的立場」に立って「県民本位の県政」を行うと述べ、深刻な不況に対し、「当面県経済の浮揚策は財政主導で確保する必要があり、雇用吸収力の高い公共投資の拡大と基幹的公共事業の早期実現化を図る」と方針を示している¹。
西銘は、自身について「県民党」「超党派的立場」をしばしば強調した。それは、一つには、当時県議会において自民党は少数与党であり、多数を占める革新政党との協力が議会運営上不可欠だったことによる。
その一方で、政治勢力の結集を目指して社大党から自民党へ転進したように、沖縄の課題に取り組むためには超党派的立場でなければならないというのは彼の政治信条でもあったといえる。西銘は、しばしば労働組合の指導者たちとも懇談し、「僕は沖縄県民党であって単なる保守じゃない。みんなの力を結集します」と旧友でブレーンでもあった久場政彦琉球大学教授にも語っていたという²。
対応に追われた米軍基地問題
西銘は日米安保や米軍基地を容認していたが、すぐに米軍基地問題への対応に追われることになる。
記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。