那覇市民会館で開かれた復帰10周年記念式典(C)時事

 

肯定的に捉えられるようになった「復帰」

 1982年5月15日、沖縄は日本復帰10年を迎えた。那覇市民会館で行われた沖縄県主催の復帰10周年記念式典で、西銘順治は「この10十年間で県勢は各分野で目ざましい発展を遂げた」と評価する一方、「今なお、本土との格差が存在し、自立発展の基礎的条件整備も遅れており、今後とも解決すべき課題は多い」とも指摘した¹

 西銘県政の誕生に見られる沖縄の保守化は、復帰への評価にも反映された。

 77年には復帰について肯定的に答えたのが40%、否定的に答えたのが55%だったのに対し、82年には、肯定的に答えたのが63%、否定的に答えたのが32%と、復帰が肯定的に受け止められるようになったのである。

 また、米軍基地についての沖縄県民の認識も徐々に変化していった。72年には米軍基地を「必要」「やむをえない」と考えていたのが26%だったのに対し、82年には37%へと上昇したのである²

 米国側もこの時期、復帰の結果として、多くの沖縄県民が 米軍基地に寛容になっていると分析している。そして日本政府と多くの日本国民が日米安保を支持する限り、沖縄県民も米軍基地に寛容であり続けるだろうと見ていたのだった³

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