神功皇后と住吉大神を祀る社殿(大阪市・住吉大社/筆者撮影)

 スサノヲの正体を明らかにすることはできるだろうか。

歴史をひっくり返した『日本書紀』

「神のモデルが本当に実在したのか」と思われるかもしれない。しかし、考古学がヤマト建国の詳細を明らかにしてくれて、神話が何かしらの事実をもとに記されていた可能性が高くなってきた。たとえば天孫降臨神話も、天上界から日向(南部九州)の高千穗に降りたあと、歩いて向かった地は笠狭碕[かささのみさき](鹿児島県南さつま市の野間岬)だったが、ここは、南西諸島から日本海や朝鮮半島に通じる航路の寄港地だった。その重要性を見落としてきたのは、現代的な感覚で地理を眺めていたからだ。神話には、何かしらの歴史がちりばめられている。

『日本書紀』編纂の中心に立っていた藤原不比等は、父・中臣鎌足の正義を証明するために、歴史改竄に着手している。そして、中臣鎌足が百済王子豊璋だったことを隠蔽し(拙著『藤原氏の正体』新潮文庫)、本来改革派だった蘇我氏を大悪人に仕立て上げるために、ヤマト建国まで遡り、歴史をひっくり返した。その過程で、ウソがウソを生む連鎖が起きた。そのため、神話から6世紀初頭の第26代継体天皇の登場まで、『日本書紀』の描いた歴史は胡散臭く、信頼できないものになってしまったのだ。

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