大田昌秀:セットになっていく基地問題と経済振興
2022年8月28日
普天間飛行場返還合意発表直後の1996年4月17日、来日したビル・クリントン米大統領と橋本龍太郎首相は「日米安保共同宣言」を発表し、日米安保は冷戦後もアジア太平洋の安定と繁栄の基盤であることを強調した。さらにこれに基づいて、朝鮮半島有事をめぐる日米協力を念頭に「日米防衛協力のための指針」の改定作業が行われていく。
こうして進展していく「日米安保再定義」の前提になっていたのが、沖縄をはじめとする在日米軍基地の安定的使用であった。そして、米軍基地の安定的使用を困難にしていたのが、大田昌秀の代理署名拒否だった。
普天間飛行場の返還は、橋本にとって、大田の姿勢を軟化させ、沖縄の米軍基地の安定的使用を可能にするための「切り札」だったのである¹。
棄却された代理署名拒否の上告審
普天間飛行場の返還が合意された一方、大田の代理署名拒否をめぐって沖縄県と日本政府との法廷闘争が続いていた。しかし8月28日、最高裁判所が代理署名拒否の上告審について、沖縄県の訴えを棄却し、沖縄県の全面敗訴が確定することになる。
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