大田昌秀:セットになっていく基地問題と経済振興

執筆者:野添文彬 2022年8月28日
タグ: 日本
エリア: アジア
大田から手渡された県民投票の結果に目を通す橋本龍太郎首相=1996年9月10日撮影(C)時事
代理署名拒否を巡る法定闘争に敗れた大田は、基地の整理縮小と経済振興を政府に要望。1996年12月にSACO最終報告書が合意され、普天間飛行場を含む5002ヘクタールの返還が決まった。それは現在まで続く混迷の始まりでもあった。

 

 普天間飛行場返還合意発表直後の1996年4月17日、来日したビル・クリントン米大統領と橋本龍太郎首相は「日米安保共同宣言」を発表し、日米安保は冷戦後もアジア太平洋の安定と繁栄の基盤であることを強調した。さらにこれに基づいて、朝鮮半島有事をめぐる日米協力を念頭に「日米防衛協力のための指針」の改定作業が行われていく。

 こうして進展していく「日米安保再定義」の前提になっていたのが、沖縄をはじめとする在日米軍基地の安定的使用であった。そして、米軍基地の安定的使用を困難にしていたのが、大田昌秀の代理署名拒否だった。

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
野添文彬 沖縄国際大学法学部 地域行政学科准教授。1984年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は国際政治学、日本外交史、沖縄基地問題。主な著書に『沖縄返還後の日米安保: 米軍基地をめぐる相克』(吉川弘文館/2016年)、『沖縄米軍基地全史』(吉川弘文館/2020年)がある。
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