
90年の知事選で西銘順治の4選を阻んだ大田=右(C)時事
1980年代後半、国際的には冷戦が終結へと向かう一方で、沖縄では保守の西銘順治県政が3期12年続き、革新陣営では危機感が強まっていた。こうして革新陣営で西銘県政を打倒する準備が進められる中、次の知事選の候補者として白羽の矢が立てられたのが、当時琉球大学教授であった大田昌秀であった。
大田を擁立した吉元政矩(よしもと・まさのり:当時沖縄県労働組合協議会事務局長、後に副知事)は、その理由について「文字通り沖縄戦の生き残りということと、それを一つの生き様の出発として、彼がその方面での研究と勉強をしながら(中略)絶えず発言してきた」からだと回想する。大田のこれまでの人生や発言は、特に革新陣営にとって沖縄のあるべき方向性を示すものと考えられたのである。

「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン