「天安門事件」日本外交敗北の実相

城山英巳『天安門ファイル 極秘記録から読み解く日本外交の「失敗」』

執筆者:安田峰俊2022年9月3日
 

 ──したたかな中国。

 日中間のGDPが逆転した2010年ごろを境に、中国を表す言葉としてよく聞くようになった表現だ。ただ、私はこの表現にちょっと懐疑的である。

 確かに、往年の中国が特に「したたか」ではなかったとは思わない。 毛沢東の晩年の西側諸国との関係改善や、 鄧小平の香港返還交渉は、いずれも「したたか」だった。だが、中国にはこうしたファインプレーに混じって、実のところ粗雑で不器用なゴリ押しも多い。この一面は近年の習近平政権でしばしば前面に出ているが、かつての鄧小平時代ですらあった。その最たるものが、1989年6月に起きた天安門事件の武力鎮圧だ。

 本書は天安門事件前後の1980年代後半~90年代前半における日中関係の裏面史を、豊富な史料への渉猟と考察、存命者への取材を通じて、雄渾な筆力で描き出す。あらゆる角度からこの時代を切り取った400ページに迫る大作である。大作なるがゆえに、一言ではまとめ切れないところもあるのだが、筆者は本書を、決して「したたか」ではない中国を相手に独り相撲し、後年への禍根を残した日本外交の敗北の実相を記した一冊として読んだ。

 理想の中国像と日中友好のスローガンにとらわれ、日中間の国力に大きな乖離があったにもかかわらず、腫れ物に触るように中国に接していた当時の日本。もちろん、今日の中国の覇権主義的台頭や、西側社会の国際秩序や人権・議会制民主主義の概念に公然と挑戦する傲慢な姿勢を生み出した要因は、中国国内の政治状況にもアメリカなど第三国の対中姿勢にも求められ、日本外交のみを戦犯視するのは酷でもある。しかし、かつて日本が、現在とは比較にならないほど国際社会で重きをなしていた時期において、リアリズムに欠けた対中姿勢が残した問題はやはり大きい。

 「したたか」な中国という言葉は、中国が常に諸葛孔明さながらの深慮遠謀をめぐらせて交渉相手を手玉に取っているような、ミステリアスなイメージを想起させる。しかし、これは「相手が極めて賢いので、当方が望む成果が上がらなかったのは仕方ない」という、言い訳の論理を肯定する言葉としても使えてしまう。だが、現実の中国は常にそこまでは「したたか」であり続けているわけではない。失敗の理由は、相手が並外れて賢いからではなく、当方の愚かさにこそ求められる。

 本年は日中国交正常化から50年を迎える。 後世の視点から考えるならば、天安門事件とその前後の数年間は、 日中関係の最大のターニングポイントになり得る時期だった。その事実を噛みしめる書として、本書は極めて興味深い。

 

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