国交正常化交渉のため訪中した田中角栄首相(右)。左は周恩来中国首相、後方は大平正芳外相[1972年9月30日](C)時事

 

 1972年9月の日中国交正常化から半世紀が経過した。しかし、日中両国間でこれを慶賀するムードは乏しい。両国関係がなぜ悪化したかという問いには様々なレベルで答えることができよう。構造的な要因としては、中国の国力が増大したことによって、日中間のパワー・バランスが大きく変化したことが挙げられる。また領土問題や歴史問題の対立のなかで先鋭化した日中両国のナショナリズムの存在も無視できない。

 一方でしばしば指摘されるのは、かつて存在した日中間をつなぐ強力なパイプの不在である。本稿では、日本の政治改革に併せて日中関係を支えてきた政治パイプが、どのように変化し、なぜ衰退したかを明らかにしたい。

安保闘争で自民反主流派に影響力工作

 55年体制の全盛時代、日中関係は、与党自民党の派閥政治と密接に結びついていた。1959年から60年にかけて、当時の岸信介政権が進めていた日米安保条約の改定に反対する闘争(安保闘争)が盛り上がった時、中国政府は、石橋湛山や松村謙三といった自民党内の反主流派を積極的に中国に招いた。当時、中国政府は安保闘争を支援しており、党内反主流派を取り込むことで、岸政権を倒閣に追い込もうとしたのである。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。