死刑廃止後、フランスの世論は徐々に変化して行った[バダンテール氏=筆者撮影]

   バダンテール氏が死刑廃止運動の闘士となった契機は、弁護士時代に経験したある事件だ。担当した被告が殺人を犯していないにもかかわらず、決定的証拠を法解釈上の理由で無効とされ、死刑判決を受ける。バダンテール氏はこの被告がギロチンで処刑される現場に立ち会った。「私たちは刃が台にあたる鋭い音を聞いた。それで終わりだった」と著書『死刑執行』にその瞬間を描いている。

責任ある政府の高官に求められる役割

 当時、フランスの世論は大半が死刑制度を支持。「死刑もやむを得ない」との声が8割に達する今の日本と似ている。81年、フランソワ・ミッテラン大統領から法相に任命されたバダンテール氏は、死刑廃止法案を国民議会(下院)に提出し、野次と歓声の飛び交う中、後に伝説となる演説を行った。法案は同年10月9日に成立した。

「保守勢力や、保守的なメディアは、死刑廃止法案に反対だった。世論も、だいたい3分の2が反対だった。だがね、私は自分の立場を理解する必要があると思った。民主国家でひとたび、責任ある政府の高官となったなら、その役割は世論や国民感情を映すだけの鏡となることではない。暗闇の中で、(国家の)未来を開く道筋を照らす灯台となることだ」「当時、西欧のほとんどの国は既に死刑を廃止しており、フランスは最後まで存置している国の一つだった。世論の支持を得られない政策を進めるには勇気が要る。私は、世論調査を恐れないことにした。臆病風に吹かれてはならない。できるだけ、はっきり言おう。死刑廃止に必要なのは、(政権の)少しの勇気だ」[バダンテール氏、以下も太字部は同じ]

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