「リーフ」から「アリア」「サクラ」まで10年以上のブランクを挽回できるか[「サクラ」を発表する日産の星野朝子副社長=2022年5月20日](C)時事

   2008年3月。テスラが最初のEV(バッテリー電気自動車)「ロードスター」を発売したこの年が「EV元年」だった。筆者は翌2009年の秋に、カリフォルニア州パロ・アルト市にあるテスラの工場を見学している。それは工場というよりは作業場のような趣だった。汎用品のモーターと、PC用電池を流用したバッテリー・パック、独自の制御装置の組み込みが、全て手作業で行われていた。

   工場見学の後、筆者は隣接するショールームで「ロードスター」を借り、試乗する機会に恵まれた。噂通りの加速と滑らかな走りを体験し、筆者はこの時、「EV時代」の到来を確信した。

   そのころ日本車メーカーは何をしていたのだろうか。EVの開発競争において、日産の出足は悪くなかった。テスラより2年遅れではあったが、2010年には「リーフ」を世に出している。

   テスラ「ロードスター」は業界のトップを切って発売されたが、2500台限定という試験販売に近いものだった。勝負をかけるのは次に出る「モデルS」以降、というのがテスラの戦略だった。

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