信用収縮からの回復にあたってインドや中国などの勃興経済(エマージングエコノミー)への期待が高まると、他方で「新主役」の行儀作法や挫折に至りかねない脆弱性についての指摘も次々と登場するようになった。世界の新秩序形成までには、われわれは一山も二山も乗り越えなければならないだろう。 勃興経済そのものがもつ活力、一言でいえば潜在成長力への驚嘆の念が先進国側にあるため、世界秩序をテーマとした会議へ彼らの代表者を呼びよせることはもはや不可欠の手続きとなっている。欧米と日本からの参加者が多数で、インド、中国からはそれぞれ少数しか招かれないという非政府の国際会議での雰囲気はどれも似ている。そこでは欧米、日本側が「勃興経済」側への「苦情」を述べることから始まる。相当な異質性を感じざるをえないからだ。 インドは孤立している(アイソレイテッド)と表現されることもしばしばだ。確かに非同盟を掲げた外交を一貫してとってきたのだから、同盟を前提とした欧米や日本と異なるのは当然であろう。しかし東西冷戦を主体性をもって生き抜くためには、インドにとって非同盟は価値そのものであったはずだ。 孤立との表現はもちろん外交姿勢に対してではない。たとえば「法の支配」に対してもこの表現が用いられることがある。民主主義と市場経済の実践を積み重ねた長い歴史をもつ国々にとっては契約の自由を背景とした「法の支配」はグローバリズムを支える背骨に当るものだ。

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