出雲大社境内から発掘された、巨大な木柱の模型(筆者撮影、以下同)

 出雲は神話と歴史時代に、何度もいじめられていた。だから『日本書紀』は、その祟りが恐ろしくて、巨大な社殿を建てたと記録する。

 とは言っても、出雲を神話の主役に据えた意図が、見えてこない。現実には、多くの地域がヤマト建国に携わり、そのあと起きた主導権争いで、日本海側の奴国[なこく](福岡市)やタニハ(但馬、丹波、丹後、若狭)は痛い目に遭って衰退している。出雲だけが栄え、滅びたわけではない。

なぜ出雲大社の本殿は巨大なのか

 そこでまず、出雲大社に注目してみよう。今でも本殿は巨大だが、以前はもっと大きかったようなのだ。

 平成12(2000)年に、出雲大社境内から13世紀半ばの巨大木柱(中心の心御柱[しんのみはしら]と宇豆柱[うずばしら])がみつかっている。直径125~140センチの杉の巨木を3本まとめ、金輪[かなわ]で束にしていた。

 柱は全部で9本あり、神社建築としては他に例のない様式で、柱の太さから逆算すれば、高さは100メートル近い高層社殿が屹立していた可能性が出てきた。平安時代の『口遊』[くちずさみ]の中で、「日本一の建造物」と称えられていたし、「社殿が自然に倒壊した」という伝承も残っている。

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