グレイ伯爵家

執筆者:君塚直隆2023年2月4日
首相として数々の政治改革を実現した2代伯(左)。後代、グレイ伯爵家の分家からは、11年にわたって外相を務めたエドワード・グレイを輩出した

「イギリス紅茶の代名詞」となった貴族

「アールグレイ」。いまやこの名前は、イギリス紅茶の代名詞のひとつとして日本にも深く定着している。読者の皆さんにも、ベルガモットを効かせたその独特の香りをお好みのかたがいるだろう。しかしこの名前がある貴族に由来することまではご存じない場合が多い。その貴族こそが、今回取り上げる「グレイ伯爵(Earl Grey)」なのである。

 グレイの一族は、14世紀にイングランド北東端ノーサンバーランドに中規模な所領を構える地主貴族に端を発している。所領の経営に成功し、准男爵(バロネット)に叙せられたサー・ヘンリ(1691~1749)の4男チャールズ(1729~1807)は、父が買い取ってくれた陸軍少尉の位から軍人としての経歴(キャリア)を始めていく。当時は陸軍の中佐から少尉までの位は、一部は「売官制」によって取り引きされていた。その陸軍でチャールズはペティ・フィッツモリス大尉という人物と懇意になる。のちの首相シェルバーン伯爵である。このシェルバーンが政権を握ると、彼の縁故からアメリカ独立戦争に司令官として赴任し、戦争には敗れたものの、チャールズは大将にまで昇進し、1806年にはついにグレイ伯爵に叙せられた。

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