ヒューム・オブ・ハーセル(一代)男爵

執筆者:君塚直隆2023年2月25日
伯爵位を放棄して首相、外相などを歴任したアレクサンダー・ヒュームは、一代男爵に叙せられた(CC BY-SA 3.0)

 1974年12月、ひとりの老紳士が一代男爵(Life Baron)に叙せられた。新しい爵位は「ヒューム・オブ・ハーセル男爵(Baron Home of the Hirsel)」。1958年に一代に限って男爵位を与えられる制度が導入され、政財界の大物だけではなく、芸術や社会福祉などで功績のあった人々が、この資格で貴族院入りする機会が増えていった。しかしこのヒューム卿は、これより11年前の1963年まで12年間にわたり貴族院に議席を持ち、活発な政治活動を続けてきた由緒ある世襲貴族(Hereditary Peer)だったのだ。いったい何があったのか。

ヒューム一族の系譜

 ヒューム一族の開祖はスコットランド東南部に所領を有したヒューム男爵(Lord Home)にさかのぼる。5代男爵アレクサンダー(1525~1575)はスコットランド東南部の国境を警護する役割を王から任じられ、度重なるイングランドからの侵攻に対抗した。しかしフランス王家に嫁いでいた女王メアリ(ステュアート)が帰国し、国内はカトリック(女王)派とプロテスタント派の貴族のあいだで内乱に陥り、ついにメアリは廃位され、プロテスタント側の勝利のうちに、まだ1歳のジェームズ6世が国王に即いた。

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