オルトリンガム男爵家

執筆者:君塚直隆2023年3月4日
『ナショナル・アンド・イングリッシュ・レヴュー』(左)に寄稿した「今日の君主制」が物議を醸した、2代オルトリンガム男爵ジョン・グリッグ(“Peer Raises A Storm”『British Pathé』より)

 1957年8月6日の夕方。『グラナダ・テレビ(現在のITV)』でのインタビューを終えて帰宅しようとする青年貴族の前に、いきなり老人が立ちはだかった。すると老人は青年の横っ面を張り倒したのだ。すぐに老人は近くにいた警察官に取り押さえられ、事態はそれ以上発展するようなことはなかった。男は64歳で極右団体「帝国愛国者連盟」のメンバー。そして彼に張り倒された青年は、オルトリンガム男爵(Baron Altrincham)ジョン・グリッグ(1924~2001)であった。なぜイギリスの貴族が右翼団体の老人から暴行を受けなければならなかったのか。

皇太子や首相の知遇を得た父エドワード

 オルトリンガム男爵位は、殴られたジョンの父エドワード(1879~1955)が叙せられたものだった。インド高等文官の一人息子としてマドラスで生まれた彼は、帰国後に名門ウィンチェスタ校からオクスフォード大学に進み、ジャーナリズムの世界に入る。いくつかの新聞で植民地関係の記事を扱うが、アスター家(連載第6回)とゆかりの深い編集者ジェームズ・ガーヴィンの下で補佐役を務めたこともあった。

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