ネパールの病院で抜糸する吉本信也医師(左) ©ADRA Japan

あるNGOとの出会い

 2005年、私は当時生活していたアメリカ合衆国ネバダ州リノで、最もレベルが低いとされる公立高校の教壇に立った。マリファナを咥え、腰に銃を差して登校してくるような若者を相手に『日本文化』を教えたのだ。当時私は、「弱者として生きるアメリカ」をテーマに執筆活動を続けていたが、今振り返っても、これ以上ない機会を得た気がしている。

 アメリカでは高校卒業までが義務教育だが、この学校では8割以上が中退してしまっていた。私が受け持った19名は、ほぼ全員が崩壊家庭で育ち、常識を身に付けずに育っていた。悪戦苦闘の日々だったが、誰もが黒板にさえ目を向けなかった状態から、日本軍のパールハーバー奇襲や、広島・長崎への原爆投下についてディスカッションできるまでにクラスが変貌した折には、確かな手応えを感じたものだ。その後は、小学生の再生教育現場で働き、同様の充実感を得た。

 だが、それから5年後、私は経済的な理由からアメリカ撤退を余儀なくされる。日本で暮らしながら「もう一度、あのような活動ができないか」と思わない日は無かった。

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