ネパールで貧困と戦う日本人(1) 1200名以上の「口唇口蓋裂」患者を救った医師

執筆者:林壮一 2023年3月26日
タグ: 人権問題 日本
エリア: アジア
ネパールの病院で抜糸する吉本信也医師(左) ©ADRA Japan
ネパールはアジアで6番目に貧しく、中国、ベトナムに次いで3番目に多くの留学生を日本に送り出している国である。同国で長年、「命を落とすわけではない」と放置されがちな口唇口蓋裂の手術を行ってきた日本人医師は、「ネパールには医療の原点がある」と語る。

あるNGOとの出会い

 2005年、私は当時生活していたアメリカ合衆国ネバダ州リノで、最もレベルが低いとされる公立高校の教壇に立った。マリファナを咥え、腰に銃を差して登校してくるような若者を相手に『日本文化』を教えたのだ。当時私は、「弱者として生きるアメリカ」をテーマに執筆活動を続けていたが、今振り返っても、これ以上ない機会を得た気がしている。

 アメリカでは高校卒業までが義務教育だが、この学校では8割以上が中退してしまっていた。私が受け持った19名は、ほぼ全員が崩壊家庭で育ち、常識を身に付けずに育っていた。悪戦苦闘の日々だったが、誰もが黒板にさえ目を向けなかった状態から、日本軍のパールハーバー奇襲や、広島・長崎への原爆投下についてディスカッションできるまでにクラスが変貌した折には、確かな手応えを感じたものだ。その後は、小学生の再生教育現場で働き、同様の充実感を得た。

 だが、それから5年後、私は経済的な理由からアメリカ撤退を余儀なくされる。日本で暮らしながら「もう一度、あのような活動ができないか」と思わない日は無かった。

 昨年、ウクライナをはじめとする紛争地域や、発展途上国への人道支援を行っているADRA(Adventist Development and Relief Agency)というNGO(非政府組織)団体と出会う。世界120カ国と連携して活動する様に惹かれた。同NGOは、アフリカや南米に教育的サポートも行っていた。この組織なら自分の経験を生かせるのではないかと考えた私は、物書きの活動と並行して、ADRA日本支部で働くことにした。私がADRAを通じて知ったネパールでの人道支援について、これから本稿を含め3回に分けてレポートしたい。

ネパールと口唇口蓋裂

 1990年、ADRA日本支部はネパール支部と協力し、バネパに建つシーアメモリアル病院の水道パイプ工事と変圧器の交換を行った。バネパは、ネパールの首都カトマンズから25キロほど東に位置する小さな町だ。この地域に点在する人口70万に対し、医療機関はたった一つしかなかった。

 ヒマラヤ山脈の美しさとは裏腹に、今日、ネパール国民一人あたりのGNI(国民総所得)は1220ドルと、世界で34番目、アジアでは6番目に貧しい。一方、日本に暮らす留学生の出身国別の人数では、ネパールは中国、ベトナムに次ぐ3位で、なんと韓国よりも多い。

かつては口唇口蓋裂の手術を行える医師がネパール国内に一人しかいなかった ©ADRA Japan

 ネパールを訪れたADRA Japanのスタッフは、口唇裂、および口蓋裂のまま生活する人々の姿を見る。さらには、この手術をきちんと行える医師が、ネパール国内に一人しかいないことを知った。そこで5年の歳月をかけ、バネパに口唇口蓋裂手術を施せる建物を建築する。そして、1995年から東京衛生アドベンチスト病院や昭和大学の医師、看護師などで構成された医療チームをネパールへ派遣してきた。同活動は、新型コロナウィルスが地球上を覆い尽くす前の2019年まで続き、毎年約60名の先天奇形患者に口唇裂、口蓋裂の手術を行った。すべて無償である。医師、看護師たちは、渡航費用を自身で払いながら、使命感に燃える人ばかりであった。

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執筆者プロフィール
林壮一(はやしそういち) 1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経てノンフィクション作家に。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。東京大学大学院情報学環教育部にてジャーナリズムを学び、2014年修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(以上、光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(以上、講談社)など。
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