
「またか、と言う思いですね。僕はJリーグが始まる前年の1992年に来日し、日本のサッカーが強くなることを願って仕事をしていますが、残念ながらこの国から暴力監督がいなくなることはありません。JFA(日本サッカー協会)の判断もおかしいと思います。レベルが低過ぎるし、遅れていますよ」
溜息混じりにそう語ったのは、浦和レッズでプロサッカー選手としての生活にピリオドを打った元アルゼンチンユース代表のセルヒオ・エスクデロ(60)だ。
エスクデロが嘆くのは、2月14日にシーズンが開幕するJリーグについてである。産声を上げてから33年目を迎えた2025年、優勝争い予想よりも世間を賑わしているのが、アビスパ福岡の監督に任命された金明輝(43)の人間性と、このクラブを含む日本でまかり通る“常識”だ。
はじめから「復帰ありき」の処分
2021年末、金はサガン鳥栖の監督を降りた。トップチームのプロ、及びユース選手に対する暴行、暴言が明らかになったのだ。
選手の髪型が気に入らないと前髪を握ってビンタをしたり、「お前のパスはこうなんや」と言いながらボールをぶつけたり、トレーナーからケアを受けていた選手の頭を叩いて「お前が冷やす権利あんのか」と発言した。ユースを含む若手にも日常的に「死ね」「殺すぞ」「消えろ」「お前の顔は気持ち悪い」「ハゲ」などの暴言を重ねていた。こうした行動を問題視したサガン鳥栖が第三者委員会を設け、調査に乗り出すと、金はチーム関係者に対して口止めを指示、隠蔽工作を計った。
それを受けた日本サッカー協会は、金が持っていた指導者ライセンスを最上級のSから一つ下のAに降格させた。その後、協会が作り上げた更生プログラムを受けさせ、2024年2月に再び金にS級を発行。町田ゼルビアのコーチを経て、今季より福岡で指揮を執ることとなった。
同協会の影山雅永技術委員長は2025年1月10日に、「金は制裁を受けた。過去に色々あったが周囲から応援してもらえる監督になってほしい。期待している」と擁護する発言をしている。2年の謹慎と更生プログラムをこなせば、金の根幹が変わったという裁定だ。処分決定時の反町康治技術委員長も、金が更生プログラムを受ける前から「かなり厳しい、重い処分と言えるかもしれないが、本人ももう一度勉強して、指導の現場に立って欲しい」などとコメントしており、はじめから復帰ありきだったことが窺える。
エスクデロは呆れたように言葉を続けた。
「金がどんな人物であるかを理解しているのに、JFAは短期間で簡単にS級ライセンスを再発行してしまった。あり得ないことです。こんな調子では、日本のサッカーがダメになってしまいますよ。アルゼンチンで同様の問題を起こした人間は、二度と現場に立つことが出来ません。もう、どんなチームからも声が掛からない。小学生チームからもです。暴力指導者などサッカー界に必要なし、と受け止められます。
日本って本当に暴力やハラスメントが消えませんね。小学生の指導者が平気で暴言を吐く、高校の監督が暴力を使う。プロでさえ、こんな状態……。そういうコーチを見たり、聞いたりする度に、僕は心を痛めてきました。
いいですか。ディエゴ・マラドーナやリオネル・メッシは、殴られたり、暴言を浴びる環境でボールを蹴ってきていませんよ」
指導者が真っ先に学ぶべきは心理学

1978年、1986年に継ぎ、先のカタールW杯で3度目の世界チャンピオンとなり、目下、南米選手権も連覇中のアルゼンチンでは、指導者ライセンスの入り口であるC級を取得する時から心理学の履修が義務付けられている。
「コーチは教育者であるべきだ、というのが僕の国の考え方です。心理学の授業では、例えば『マラドーナがコンディションを崩した時、指導者がどのような言葉を掛けてトレーニングに向かわせたか』『クラブの会長の息子がチームメイトのお金を盗んだ場合、いかに対処すべきか』等、具体例を挙げた上で受講者に考えさせる講義が組まれます。アルゼンチンでは選手をいかに励ますかを第一に考えます。怒る、叱る、じゃないんです。だから、暴力を用いる発想には絶対にならないですし、万が一そんなことをしたら逮捕されて、永久追放です」
エスクデロは、日本の指導法に対してこんな提言をした。
「心理学を取り入れないと。アルゼンチンでは『選手に、まず自由にやらせよう』という考えが根底にあります。本人の発想、闘争心をとことん伸ばすんですね。コーチは、選手の気持ちを理解しなければいけない。
今、次のワールドカップに向けた南米予選中ですが、10カ国中アルゼンチン人監督が7名を数えます。それは、指導者の育成力が評価されている証です」
鳥栖時代の金の悪行により、心に傷を負った人間は一人や二人ではないだろう。被害者は警察に被害届を出すべきだったのではないか。金による暴行や、侮辱、脅迫などの行為に対しては、民法709条に基づいて不法行為として損害賠償請求ができたはずだ。そんな選択肢も無い状況に置かれていたのか。
「アルゼンチンは国民全員がサッカーを愛していますから、指導者になりたい人なんていくらでもいるんです。それだけに競争が激しい。だから、暴力、つまり犯罪に手を染めた人間がぬくぬくと采配を振れる環境などありません。
日本では、どこかで問題を起こしてクビになった人間でも、その業界で生きていたりしますよね。金も、何だかんだで他のチームの監督がやれてしまう。信じられないくらい甘い世界です。しっかり反省させない社会だから、同じことが繰り返されるんじゃないですか」
「過去のことは解決済み」に異を唱えたスポンサー
この悪習に異論を唱えたのが、2007年よりアビスパ福岡を支えてきた明太子メーカー「株式会社ふくや」である。金の監督就任を受け、2025年1月末でスポンサー契約を終了すると発表した。
ふくやは、アビスパ福岡の経営が芳しくなかった2013年に、応援のための明太子セットを販売し、その売上金の全てをチームに寄付している。同社のトップである川原武浩社長は「被害者に対する配慮も含め、もっと準備と対話が必要だったのではないか」と監督人事に異を唱えたうえで、今回の結論を下した。
とはいえ、親身になってチームを支えてきたスポンサーのこれまでの思いは、アビスパの経営陣に伝わらなかった。同チームの川森敬史会長は、「(金が)間違いを乗り越える過程も地域の子どもたちの学びになる」とアナウンスしている。
ふくやの川原社長は、noteにて以下のように胸の内を記した。
「監督就任記者会見での金監督の発言に『匿名性がある中で、被害者個人を特定して直接謝罪することはなかなか難しいというのが現状です。個人に対しての具体的な対応はできておりません』というものがありました。川森会長によると『当時、過ちを犯してしまったクラブを通じて謝罪を行いました』とのことですが、謝罪をすることと、それを被害者側が『受け入れ許した』かは別問題です。調査報告書から漏れている被害者の存在も否定できませんし、過去のことは全て解決済みであるというアビスパ側の見解に対して、確信を持つに至りませんでした」
金は自らの不品行で被害を受けた人間が誰だか分からないと主張し、故に面と向かって詫びる気は無いとしたのである。ここに彼の人間性がはっきりと見て取れる。
ふくやは、「企業として健全に事業を進め、確実に利益を上げながら発展していくためのパワーを備える」「お客様をはじめ社員、取引先、株主などその企業を取り巻くあらゆる人々を大切にしながら、社会全体に貢献していく」ことを理念としているため、アビスパ福岡の方針との間に整合性を取れなくなったのだ。
暴力・暴言なしの指導を可能とするガバナンスとは
「ふくやさんの社長がこれ以上、スポンサーをやれないと感じたのは当然です。アビスパだけではなく、地域社会やサッカー界のことを思って、決断したんですね。素晴らしいです。アビスパはしっかりと学ばなきゃいけない。また、今回の件は日本のサッカー界全体で考えるべきです。
365日サッカーに熱狂している僕の国の人々は、プロリーグを必死で観戦しますよ。ボカ・ジュニアーズ、リバープレートをはじめとした1部リーグのチームのユニフォームの胸スポンサーには、お金のある企業だったら絶対になりたい。大金を用意できる会社が契約を結びます。但し、今回のような問題や、選手の言動、クラブの主張などを鑑み、スポンサードするに値しない事態が生じた場合は、やはり契約満了の時点で去りますね。これだけチームに貢献してくれたスポンサーが離れたことを、アビスパは深刻に受け止めなければいけません」
しかしながら、日本には暴力や暴言で選手を支配する指導者を評価し、「勝つためなら時に厳しいやり方も必要だ」という土壌がある。
エスクデロは、こうした声にも触れた。
「僕の国でも、監督と選手がぶつかることはしょっちゅうあります。交代を命じられた選手は面白くないから、反抗的な態度を見せたりもしますよ。そうすると現場からクラブに報告がいき、チームの秩序を乱す行為は良いことなのか悪いことなのかを考えさせ、かつ、プロとして相応しいのかどうかも自問させた上で、選手にペナルティーが科せられます」
我が国のスポーツ議員連盟も、今月始まる通常国会で改正を目指すスポーツ基本法において、暴力やハラスメントの根絶を明文化しようと動き出した。時代の流れに逆行するアビスパ福岡が、仮に今年のJリーグを制したとしても、ようやく根付いた日本のサッカー文化に唾を吐くことにしかならないだろう。