今春から、学校生活でもさまざまな制限が徐々に解除され、賑わいが戻ってきた(Inside Creative House / Shutterstock)
3年前、突然の「一斉休校」を強いられた教育現場では何が起こり、何が足りなかったのか。現役の教員であり、『学校するからだ』(晶文社)を上梓した批評家・矢野利裕氏が「人の集まる価値」をポスト・コロナ禍に移行しつつある今、再評価する。

 先日、「個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねる」という政府のマスクの着脱に関する方針が打ち出され、また文部科学省からは、学校の卒業式について「マスクを着用せずに出席することを基本」とする旨が発表されました。これによって、「コロナ禍」というムードはじょじょに薄まっていくのでしょうか。

 現在、2023年4月——。振り返ってみると早いもので、安倍晋三首相(当時)による「全国一斉臨時休校」の「要請」が出されてから丸3年です。これほど大規模な「休校」はほとんど前代未聞と言えるものですが、新型コロナウイルス感染症へのこの対応については、いまだ総括がされたとは言えません。そもそも最終的な判断主体であることを放棄するかのような「要請」というありかたを考えると、政府は総括をする必要はないという立場なのでしょう。そのような態度まで含めて、個人的には批判的な気持ちがないではないです。

 いずれにせよ3年まえの3月、わたしたちの社会は大規模な「休校」を経験しました。そのときの個人的な肌感覚について、中高一貫校の教員の立場から書きたいと思います。

はたして「オンライン授業」は奏功したのか

 なにより思い出すのは、突然の「休校」とともに開始されたオンライン授業のことです。パソコンにソフトを入れたりマイクを買ったりといったオンライン授業をおこなうための悪戦苦闘については、とくに詳しく書きません。どのような仕事でも少なからず対応に追われたのではないでしょうか。

 どちらかと言えば、ひと口に「オンライン授業」と言っても実際はなかなか困難だった、ということが心に残っています。当然のことながらインターネット環境は各家庭によって異なるし、親・兄弟/姉妹のあいだでオンラインの機会が増えるとなれば、ネット回線や端末の取り合いも起こります。学校という場所が閉鎖されるだけでこんなにも教育機会の平等性を保つのが困難になるのか。生徒用の無線LAN入手のために走ったりいろんな家に電話をかけまくったり、「オンライン授業」を成立させるための、およそ「オンライン」らしくない愚直な奔走が印象的でした。もっともこれに関しては、事務方のほうが本当にたいへんだったと思います。

 そうやって慌ただしく始まった「オンライン授業」。最初は自宅からパワーポイントを使って配信していましたが、途中から大きい黒板を使う必要が出てきたため、教室で授業を撮影することにしました。このときの、パソコンを教壇に置いただけの無人の教室でおこなったひとり授業がけっこう忘れられません。というのも、無人の教室であたかも何十人に見られているかのように演劇的に授業をする感覚は、やはりとても不自然でおかしいものでした。これはいったいなんなのだろうか。

 小説家の青木淳悟さんがとても正確に描写するように、「天井に並ぶ無数の穴と裏側の空洞とが適度に反響を抑えてくれて、この場での先生の言葉は聞き取りがしやすい」(『学校の近くの家』)のです。自分しかいない教室でこのうえなく「聞き取りがしやすい」自分の声を聞いている、というこの状況はなんなのでしょう。あらためて考えると、滑稽なような奇怪なような。とにかく、おかしくておかしくて。

 このとき感じたのは、ああやはり学校とは人が集まる場所なのだな、ということでした。教室の「天井に並ぶ無数の穴と裏側の空洞」ひとつ取っても、人が集まることを前提に設計されている。だとすればやはり、当時言われていたような、これからは学校に集まることなく「オンライン授業」で代替しよう、という主張には慎重にならなくてはいけないのではないか。「3密」という言葉が叫ばれていたさなか、学校にたくさんの人が集まっているというあまりにも当たりまえの風景に思いをはせるようになりました。

学校を学校たらしめているものは何か

 以上のことは、いち教員の個人的な寂しさに過ぎないのですが、とはいえ、その一方で社会的・歴史的な問いをはらんでいる気もします。すなわち、学校において人が集まるとはどういうことか、という問いです。

 世界的なコロナ禍のさなか、精力的に発言をし、ときには批判を浴びていた哲学者のジョルジョ・アガンベンは、ロックダウンを続ける「大学」を批判しながら、その本来的な役割を指摘していました。「大学」における「学生の生活形式」を規定するのは「たしかに研究と授業の聴講」なのですが、アガンベンが言うには、「それにおとらず重要なのは他の学生たちとの出会いや熱心な意見交換」にほかなりません。「いわば教師の目の前で友人関係が結ばれ、文化的・政治的な関心にしたがって小さな研究グループが構成され、彼らは授業が終わった後も会い続けていた」と(『私たちはどこにいるのか? 政治としてのエピデミック』)。

 アガンベンがこのように言うとき、「大学(ユニヴァーシティ)」の起源である「学生組合(ウニヴェルスィタス)」が念頭に置かれています。つまり、「大学」の「大学」たるゆえんは、なにより学生を中心とした人間関係や結びつきなのだ、ということです。このことを踏まえると、各個人を隔離したままの「オンライン授業」というのは、学問の場所としてやはりなにか大事なものを見失っている気がしてなりません。

 いや、もしかしたら、いまや学校なんてせいぜいそんなもので、あの「休校」のさなか、真に学問的な体験は学校外でおこなわれていたのかもしれません。「休校」期間に新しい趣味を増やした話なんかを聞くと、そんな気もしてきます。あるいは、学校で会えないならばとこっそり会っていた生徒たちも、当然のことながらそれなりにいたようです。そのとき、学校への立ち入りを禁じられた彼らはいったいどんな話をしていたのでしょうか。

 高校教員で評論家の林晟一は、コロナ禍の高校3年間を過ごしたある高校生のエッセイを紹介しています。

 ひとりの高3生が、次のように記した。「大人は簡単に同情してくる。学校生活、つまらなくなっちゃったね。かわいそう……」。
 そんな風に同情されるのはいやだと、その生徒は続けた。たしかに奪われた経験は多いし、高校生らしい生活もまっとうできなかった。だが、思い出が真っ黒かといえば、それもちがうのだと。
(「「コロナ世代かわいそう」と安っぽく言う大人は、きっと若者に手を嚙まれる──評論家兼高校教師の描く希望」『WEBアステイオン』2023.2.8.)

 林は、コロナ禍を過ごした高校生は「絶望一色として過去をとらえようとしない粘り腰だって見せる」と述べています。たとえば、そんな思いを経験した高校3年生の彼にとって、「オンライン授業」とはどのように位置づけられるものでしょう。

 身体的な交流もない無人の教室から知識伝達に特化した「オンライン授業」を続けていても、どれだけ有機的な学問たりえているかは心許ないところです。たとえ授業が上手くいったと思っても、「オンライン」でなかったらどうだっただろう、という思いは拭いきれません。

 学生運動が盛り上がる1960年代後半、ロックダウンならぬロックアウトをして大学に立てこもった学生たちは、「自主講座」を開催していたといいます。ウニヴェルスィタスとしての「大学」を論じる吉見俊哉によれば、これら学生運動時の「自主講座」が目指したのは、「占拠したキャンパスでもう一つの『本来の大学』を創り出していくことであ」り、そうした動きは、学生運動後も「大学やその周縁に生き残」ったのとのことです(『大学とは何か』)。それは、私塾だったり社会運動の勉強会だったりさまざまですが、いずれも社会との接点を持ちながら人間関係とともにある学問のかたちが追求されました。

 ちなみに言うと、私も現在講師を務めているアートスクール、美学校(1969年創立)も、その設立目的のひとつには「大学紛争でドロップアウトした学生に技術を身につけさせたいという想い」があったようです(『美学校 1969-2019 自由と実験のアカデメイア』)。東京・神保町に居をかまえる美学校は現在もなお、美術や音楽などを自主的に学び続ける場所であり続けています。大学・学校以外の場所で学問を追求する試みは、いつの時代においてもしぶとくなされているのかもしれません。

 このように考えると、学校や大学がどのような状況に陥っても、人はどこかに集まってくるし、学問はどこかで発生しているのでしょう。当時からそのような楽観的な気持ちもなくはなかったです。とはいえ考えてしまうのは、だとすれば少なくとも私は、学問が発生する場のほうに立ち会いたいしそのような機会を提供するほうにいたいな、ということです。「オンライン授業」の名のもとに人と人とを隔離する行為は、学問を追求するどころか学問の自由を制限しているような感触すらありました。

人が集まることの価値を見くびるな

 新型コロナウイルス感染症自体は収束していないものの、社会的にはマスク着用をはじめとする感染対策が緩和されてきています。その意味では、社会的にはポスト・コロナ禍とも言うべき時代になりつつあるのかもしれません。そんな状況において、学校現場ではマスクの着用や「オンライン」の活用をめぐってさまざまな議論が飛び交うでしょう。このあたりはいろんな考えかたがあると思うし、明確な答えは出しにくいところです。

 そんななか、3年まえのことを振り返りながら私が思うことは、とくに教育の場所においては、人が集まることの価値を低く見積もらないほうがいい、ということです。全貌が見えず底も知れないコロナ禍の最初期でさえ、そのように思い、いくつかの場所ではそのように発言してきました。新型コロナウイルス感染症をめぐる議論があらためて飛び交ういま、 人が集まることの重要性をあらためて強調したいと思います。顔も知らない人たちが一堂に会す入学の季節を迎えつつ。

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