このMLBというフィールドで長く活躍する選手は、伝統やノウハウ、システムにとらわれない。これは他分野の人材育成にも通じる  kirkikis - stock.adobe.com
メジャーで躍動する日本人選手の多くは既存の伝統にとらわれない。野球名門校出身者がメジャーで苦労することと、東大理3合格数で圧倒的1位の灘高出身がしばしば伸び悩むことの間には、完成された「システム」で育ったという人材育成上の共通点がある。

 ワールドベースボールクラシック(WBC)で日本チームが優勝した。大谷翔平(以下、プロ野球選手については敬称略)の活躍が世界中の関心を集めた。かつて、日本プロ野球(NPB)がメジャーリーグ(MLB)に勝つなど、考えられなかった。どうやって、野球界は、このような人材育成システムを作り上げたのだろうか。

 私は、臨床医としての診療の傍ら、研究者、教育者としての活動を続けている。様々な領域での人材育成方法に興味がある。MLBを観戦する時にも、このような視点で見ることが多い。本稿では、MLBを題材に、私の人材育成を論じたい。

身体能力が特別優れている訳ではないメジャーリーガー

 私の知人に澤井芳信氏という人がいる。スポーツバックスという会社を経営し、上原浩治や鈴木誠也などのアスリートのマネージメントを担っている。

 澤井氏も野球人だ。1998年に京都成章高校の主将として、春夏の甲子園に出場した。夏は決勝戦まで進出し、かの松坂大輔投手を擁する横浜高校に敗れた。高校卒業後、同志社大学、そして社会人で野球を続けた。

 この澤井氏が面白いことを言う。「優れた肉体を持っている選手の多くがマイナーリーグでくすぶっている。メジャーリーグで活躍する選手の多くは、身体能力が特別優れている訳ではない」そうだ。

 現在、MLBに在籍する日本人は大谷翔平(ロサンゼルス・エンゼルス)、ダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)、吉田正尚(ボストン・レッドソックス)、鈴木誠也(シカゴ・カブス)、前田健太(ミネソタ・ツインズ)、菊池雄星(トロント・ブルージェイズ)、千賀滉大(ニューヨーク・メッツ)、藤浪晋太郎(オークランド・アスレチックス)の8名だ。大谷とダルビッシュは190センチを軽く超える体格だが、NPBでも小柄だった吉田を始め、他のメジャーリーガーと比べていずれの選手も特別に肉体的に恵まれている訳ではない。

 澤井氏が重視するのは、「自分で考える力」だ。確かに、古くは野茂英雄から現在の大谷翔平まで、MLBで活躍する日本人のイメージは、指導者の命令に素直に従う体育会系とは随分違う。

成長に欠かせない試行錯誤

 では、どうすれば自分で考えることができるようになるかだ。澤井氏は「若い時に挫折し、それを克服した経験を有すること」という。

 先日、米老舗メディアの『スポーティング・ニューズ』が「MLB史上最高の日本人選手ランキング」と題した特集記事を掲載した。この記事でトップはイチロー。次いで、大谷翔平、ダルビッシュ有、野茂英雄、松井秀喜、黒田博樹、上原浩治、田中将大、岩隈久志、佐々木主浩と続く。

 確かに、このような選手の多くは、若い時からのスーパーエリートではない。この10名が卒業した高校で、春夏の高校野球で優勝経験があるのは、黒田博樹の上宮高校(1993年春優勝)、イチローの愛工大名電高校(2005年春優勝)、田中将大の駒大苫小牧高校(2004年夏、05年夏優勝)だけだ。上宮、愛工大名電、駒大苫小牧といえども、かつてのPL学園や横浜高校、そして現在の大阪桐蔭高校のような、複数の選手がドラフトで上位指名されるようなスーパースター軍団ではない。

 イチロー、野茂、黒田、上原、岩隈らは、高校時代まで無名だった。黒田、上原に至っては控え投手だ。上原は、浪人を経て大阪体育大学に進学したが、同大学は野球の名門ではない。黒田が進学した専修大学も、当時、東都大学野球リーグの2部だ。いずれも、NPBは勿論、大学野球界でも、特に注目を集める存在ではなかったのだろう。

 イチローも同様だ。3年時は春の甲子園に投手として出場するが、松商学園に初戦で敗れ、自身も5打数無安打に終わった。夏は愛知大会決勝で東邦高校に敗れている。ドラフト会議でも、入団を希望していた中日からは指名されず、オリックスに4位指名で入団する。オリックス入団後は、その特異な打撃フォームのために首脳陣から評価されず、不遇をかこったことは有名だ。

 いずれもエリートとは程遠い存在だ。このような人物が、その後、実力を蓄え、メジャーリーグの歴史に残るのだから面白い。

 医療ガバナンス研究所の山下えりかの調査によれば、現在まで、66人の日本人がNPBを経て、MLBに移籍しているが、大部分は数年でMLBを去っている。5年以上在籍したのは21人(32%)、8年以上はわずかに7人(11%)だ。ダルビッシュ、イチロー、上原、野茂、松井秀喜以外には、長谷川滋利(1997~2005年、アナハイム・エンゼルスなど)と大家友和(1999~2009年、ボストン・レッドソックスなど)の2人だ。共に日本時代に大活躍したという訳ではないが、極めて研究熱心である点で、イチロー、野茂、黒田、上原と通じる。

 彼らは、どうやって、このようなスキルを身につけていったのだろう。その試行錯誤は、既に多くのメディアで報じられているため、本稿では詳述しないが、彼らは、監督やコーチの言うことを鵜呑みにせず、自らの頭で考えて、成長した。この試行錯誤こそ、人間が成長する上で欠かせないものなのだろう。

伝統やノウハウで育った者は伸び悩む?

 私見だが、前述した高校野球の名門であるPL学園、横浜高校、大阪桐蔭高校を卒業した選手は、NPBの大活躍ぶりと比較して、MLBでの活躍はいまいちだ。現在まで、66人の日本人メジャーリーガーのうち9人は、前出の三校の出身だが、大活躍した人はいない。

 かの松坂ですら、MLB移籍3年目以降は勝てなくなった。2007年にボストン・レッドソックスに移籍し15勝、翌年に18勝を挙げたが、それから2014年にメジャーリーグを去るまでの6年間の勝ち星は23に過ぎない。澤井氏は、「MLBは相手を徹底的に研究し、すぐに丸裸にされる」という。松坂といえども、例外ではなかったのだろう。

 なぜ、PL学園、横浜高校、大阪桐蔭高校の卒業生が、MLBで活躍しないのか。MLBで活躍し続けるためには、変わり続けなければならず、そのためには、自分で考えるしかないが、NPBで活躍することを念頭においた選手育成システムが確立している超名門校では、このような訓練が十分にできていないためではなかろうか。

 身体能力が優れた選手を集めて、特別に訓練し、さらにノウハウも蓄積されている集団は、普通にやれば、苦労せず勝利することができる。これこそ伝統だ。ただ、この状況に慣れてしまえば、その上の段階では通用しない。

 一方、イチローや野茂など、MLBで活躍した日本人の多くが、引退後に日米を問わず、監督など指導者として現場に復帰していないことは興味深い。彼らの抜群の知名度を考えれば、この状況は不思議だ。彼らがNPBでの指導者のポストに固執しないこともあるだろうが、選手として実力をつけるために必要な能力と、指導者として、チームをまとめていくために求められる能力は違うことも大きいだろう。

 これは、教育のあり方を考える上で示唆に富む。おそらく、このことは、野球以外にも通じるからだ。自戒の念も込めて言うが、私が卒業した灘高校から東京大学理科3類に進んだ人は、その後、あまり活躍しない。

 1962年に東京大学が理科3類の入試を始めて、灘高からは約800人が合格している。これは2位の開成高校の2倍以上で、断トツの1位だ。ところが、現在に至るまで主要臨床科の教授に就任したのは、わずかに2名だ。普通なら、その10倍以上はいるはずだ。東大教授になることだけが成功モデルではないが、この数字はあまりにも寂しい。灘高卒で東大医学部に進む多くの若者が、その後、伸び悩んでいることを意味する。東大理科3類合格までの「システム」が完成しているため、学生が自分の頭で考えないで済むからだろう。この状況は、PL学園などの野球名門校の状況と似ている。伝統には弊害もある。

 では、苦労して、自分の頭で考える力をつけさせるには、どうすればいいか。このあたり、次回、論じたい。

 

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