ベルルスコーニなき後の「フォルツァ・イタリア」が、メローニ首相(右)率いる「同胞」とサルヴィーニ氏率いる「同盟」によって草刈り場になるのではないかという観測は多い(C)EPA=時事

 

 6月12日、元イタリア首相のシルヴィオ・ベルルスコーニが死去した。86歳だった。

 この30年間、イタリア政治を語るときに彼の名前が出なかったことはない。1992年の「タンジェントポリ」大汚職事件発覚後、政党のほとんどが再編された「第2共和制」のもとで新党「フォルツァ・イタリア」を立ち上げ、中道右派の中心人物となったベルルスコーニは、4次(第1次:1994年5月~95年1月、第2次:2001年6月~ 05年4月、第3次:05年4月~06年5月、第4次:08年5月~11年11月)にわたって首相を務めた。首相在任日数は合計3339日と、戦後の共和制で最長である。G7(ロシアが参加していた期間はG8)サミットには計9回参加し、うち3回は議長を務めている。

 これだけ長く政権を担ったということは、イタリア人の多数が支持していたわけである。2008年の総選挙の右派連合のキャンペーン・ソング「シルヴィオがいて、よかった」(Meno male che Silvio c’è)のように、まさに「メノ・マーレ」、つまり「とりあえず安心」「さほど悪くない」「他よりまし」と考えた人が少なくなかったことが、彼を3回(1994年、2001年、2008年)も選挙で勝たせたのだろう。

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