最高裁は資料の廃棄を謝罪したが、少年事件の記録が国民の目に触れない現状は何も変わっていない[深々と頭を下げる最高裁の小野寺真也総務局長(右)=2023年05月25日](C)時事

 少年Aこと、酒鬼薔薇聖斗の全ての事件記録を、私たちが知らない間に裁判所が捨てていた。その事実に、多くの人が驚いた。

 だが一方、当の裁判所も、世間の反応に驚いたのではないだろうか。

 何を今さら? そもそも、捨てて何が悪いの? と。

 むしろ記録を廃棄することは、裁判所ではデフォルトだったのだから。

 長く司法取材を重ねて感じるのは、裁判官たちは、優秀で、善良な能吏の集団であるということだ。新聞記者の私は、検察官にも、弁護士にも、もちろん取材で出会う。

 だが、比べてみると、裁判官という法衣の人たちは、検察官ほどの上昇志向はなく、弁護士ほど我が強いわけでもない。総じて感情に流されず、冷静沈着で、理に重きを置く。法曹三者のなかで、最もバランス重視の安定した面々といっていい。

 そんな有能で安定した集団のはずなのに、なぜ司法はAの裁判記録をゴミ扱いしたのか。

 Aの記録なんて残す価値はない、と考えたのだろうか。あるいは、そこには隠蔽の意図があったのか。

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