なぜ司法は酒鬼薔薇聖斗の事件記録を捨てたのか――「知る権利」の蚊帳の外に置かれる少年事件

執筆者:川名壮志 2023年10月6日
タグ: 日本
エリア: アジア
最高裁は資料の廃棄を謝罪したが、少年事件の記録が国民の目に触れない現状は何も変わっていない[深々と頭を下げる最高裁の小野寺真也総務局長(右)=2023年05月25日](C)時事
数々の少年事件の記録を裁判所が廃棄していた問題は、最高裁が謝罪する異例の事態に発展した。廃棄は司法の慣例とされるが、世間を震撼させた事件ですら「耳目を集めた事件ではない」と判断された背景には、憲法が保障する「裁判の公開」原則から外れて非公開で行われる少年審判の特殊性が色濃く影を落としている。

 少年Aこと、酒鬼薔薇聖斗の全ての事件記録を、私たちが知らない間に裁判所が捨てていた。その事実に、多くの人が驚いた。

 だが一方、当の裁判所も、世間の反応に驚いたのではないだろうか。

 何を今さら? そもそも、捨てて何が悪いの? と。

 むしろ記録を廃棄することは、裁判所ではデフォルトだったのだから。

 長く司法取材を重ねて感じるのは、裁判官たちは、優秀で、善良な能吏の集団であるということだ。新聞記者の私は、検察官にも、弁護士にも、もちろん取材で出会う。

 だが、比べてみると、裁判官という法衣の人たちは、検察官ほどの上昇志向はなく、弁護士ほど我(が)が強いわけでもない。総じて感情に流されず、冷静沈着で、理に重きを置く。法曹三者のなかで、最もバランス重視の安定した面々といっていい。

 そんな有能で安定した集団のはずなのに、なぜ司法はAの裁判記録をゴミ扱いしたのか。

 Aの記録なんて残す価値はない、と考えたのだろうか。あるいは、そこには隠蔽の意図があったのか。

 いずれの問いに対しても、「ノー」とはいいきれない。そこには司法が抱える特殊な事情があるからだ。

司法にとってはただのゴミ――世間との埋めがたいギャップ

 Aの記録が捨てられていたことは、2022年10月、地元の神戸新聞の記者が問い合わせたことから発覚した。

 驚いた記者がそれを報じると、やはり世間は騒然とした。全国紙の各紙も、これを特ダネの「抜かれ」ととらえて、後追いをしている。

「捨てないだろ、普通」

 新聞記者にとっても、ごく一般の生活者の肌感覚からいっても、それが常識的な思いだったのだろう。

 一方で、捨てた神戸家裁は「現状の運用からすると適切ではなかった」としながらも、当初は廃棄の経緯も「問題なし」の立場を崩さなかった。当初は廃棄の経緯も、調べる必要がない、としていた。

 だが結局、事態を重く見た最高裁が動く。神戸家裁の担当者らを聴取したのだ。

 最高裁が23年5月にまとめた調査結果によると、家裁がAの記録を捨てた理由は、

「保存するべき期間をすぎていた」

「家裁が過去に保存した少年事件はなかった」

 ――などだった。

 裁判所にとって、少年Aの事件は、特別扱いの対象ではなかったわけだ。

 たしかにAは、10歳の女児と11歳の男児を殺害したことを、当初から認めていた。少年審判でも、事実関係に争いはなかった。また、事件当時は14歳の少年で、刑事罰に問われない年齢だから、少年院に入ることも、審判の前からほぼ決まっていた。結局のところ、事件のインパクトは強烈だったものの、難しい争点はなかった。

 司法手続きからみれば、それは決して複雑な事件ではなかったのである。

 ただ、そこには司法と世間との大きなギャップがある。

 事件は衝撃的で、Aの行く末に社会の注目が集まった。その状況は、四半世紀をへても、いまだにつづいている。だからこそ、Aの記録がゴミ扱いされたことを知った世間は驚いたのだ。

 余談ではあるが、記録を捨てるかどうかの最終判断をするのは、本来は裁判官(家裁所長)の職務だ。ところが、神戸家裁では事務職員(首席書記官)の判断で捨てられていた。

 それだけ、組織として記録を残す意識が薄かったということだろう。

少年事件の裁判記録は、軒なみ捨てられていた

 裁判所にとって、Aの記録を捨てることは通常運転にすぎなかった。それゆえに、このAの記録をめぐる騒動は、神戸家裁の落ち度というよりも、裁判所という「お役所」全体が抱える問題をも浮き彫りにした。

 最高裁が全国の家裁における少年事件の記録の保存状況を調べると、ほかにも世間で話題になった少年事件が、軒なみ捨てられていたのだ。

 たとえば、

・長崎市で中学1年の少年(12)が性的いたずら目的で4歳の男児を誘拐して殺害(2003年)

・長崎県佐世保市で小学6年の少女(11)が同級生をカッターナイフで殺害(2004年)

・奈良県田原本町で高校1年の少年(16)が自宅に放火。継母と異母弟妹計3人を殺害(2006年)

 ――なども、家裁は「保存の必要なし」として捨てていた。

「全国的に社会の耳目を集めた事件ではない」

「地域限定の事件だった」

 などが、その理由だった。

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
川名壮志(かわなそうじ) 1975(昭和50)年、長野県生れ。2001(平成13)年、早稲田大学卒業後、毎日新聞社に入社。初任地の長崎県佐世保支局で小六女児同級生殺害事件に遭遇する。被害者の父親は直属の上司である同支局長だった。後年事件の取材を重ね『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』などを記す。他の著書に『密着 最高裁のしごと』『記者がひもとく「少年」事件史』がある。
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