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【前回まで】潜水艦事故の3日前、保守党政調会長の都倉は、渡中の計画を練っていた。表向きの目的は留学時の恩師を偲ぶ会への出席だが、彼女はもう一つの計画を秘めていた。

 

Episode5 四面楚歌

 

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 衝突事故の2日前――。

 予想通り、外務大臣の繁森忠興[しげもりただおき]に呼び出された。

 東アジア諸国の結束を政治信条に掲げている大臣には、胸中を全て吐き出そうかと、都倉は考えた。

 だが、徳村に止められた。

 ――繁森君は次期総裁の最有力候補でもある。それだけに今は、親中の思想信条を押し殺し、李下に冠を正さないのが、常道だ。しかも、外務大臣という立場で、アメリカの意向に背くような真似をする国会議員はいないよ。

 繁森は、いわゆる外務省的な発想はしない。母校である早稲田の人脈、留学したオックスフォード大学人脈に加え、国会議員として築いてきた独自のパイプを中韓に有し、「繁森ドクトリン」と名付けた日中韓の3ヵ国連携を模索している。

 それは、日本単独の国益ではなく、東アジア全体の連携で、世界をリードしていくという壮大なものだった

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