【前回まで】潜水艦事故の3日前、保守党政調会長の都倉は、渡中の計画を練っていた。表向きの目的は留学時の恩師を偲ぶ会への出席だが、彼女はもう一つの計画を秘めていた。
Episode5 四面楚歌
3
衝突事故の2日前――。
予想通り、外務大臣の繁森忠興[しげもりただおき]に呼び出された。
東アジア諸国の結束を政治信条に掲げている大臣には、胸中を全て吐き出そうかと、都倉は考えた。
だが、徳村に止められた。
――繁森君は次期総裁の最有力候補でもある。それだけに今は、親中の思想信条を押し殺し、李下に冠を正さないのが、常道だ。しかも、外務大臣という立場で、アメリカの意向に背くような真似をする国会議員はいないよ。
繁森は、いわゆる外務省的な発想はしない。母校である早稲田の人脈、留学したオックスフォード大学人脈に加え、国会議員として築いてきた独自のパイプを中韓に有し、「繁森ドクトリン」と名付けた日中韓の3ヵ国連携を模索している。
それは、日本単独の国益ではなく、東アジア全体の連携で、世界をリードしていくという壮大なものだった
一方の都倉は、政治学専攻とはいえ、日中外交を専門に学んだわけではない。北京大学に留学したのも、「これからは、中国の時代が来る」と考えて選んだにすぎない。
また、都倉の政治信条は、日本が「未来に生き残るためのスクラップ・アンド・ビルド」だ。すなわち、日本が未来に生き残るために、「昭和」という古い軛[くびき]を破壊し、新しい22世紀志向の日本社会を築き上げることだ。
だから、財政赤字を解消したいし、無防備な軍事的安全保障のてこ入れをしたい。アメリカ一辺倒の外交ではなく、東アジアやロシア、オーストラリア、さらには英国との関係強化を考えていた。
つまり、繁森とは考えに大きな隔たりがあるのだ。
そのため、外務省に対して、「個人の立場として北京に渡航」とのみ申請していた。
できれば、繁森には黙認して欲しいと願っていた。しかし、やはりそれは叶わなかったようだ。
大臣室で待っていた繁森は、身だしなみも英国紳士そのものだった。サヴィル・ロウの高級紳士服店で誂えたスリーピースに、オックスフォード大のレジメンタルタイというスタイルには、隙がなかった。
驚いたのは、同席者が誰もいなかったことだ。
「中国に行く本当の理由は聞きません。しかし、保守党の総務会長であるという自覚を、忘れないで戴きたい」
紅茶を勧められ、口にしたところで、繁森が核心を突いてきた。
都倉は、黙って頷くしかできなかった。
「以前から、あなたには注目していました。しっかりとした思想、抜群の行動力に加え、熱い愛国心がある。しかし、今回の行為は、今までのあなたの実績を全て帳消しにし、将来を失うかも知れません。その覚悟は、ありますか」
繁森の威圧感には怯みそうになるが、ここは突破あるのみだ。
「大臣、私は自身の評判や将来の野望のために、行動致しません。身を挺して国に尽くしたい。その一念です」
「結構な覚悟です。ならば、お好きに。但し、私は外務大臣として、あなたの行動を糾弾することになるでしょう。
また、あなたは、保守党の党籍を剥奪される可能性が高い」……
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