第1回 レーニン 帝国の創始者(前編)

執筆者:池田嘉郎2024年1月21日
レーニンが法廷弁護士助手を務めた建物の記念プレート。ロシア・サマーラにて(筆者撮影)

プロローグ

 1924年1月下旬、雪で白くなったモスクワの中心部に、幾重もの人の列が伸びていた。みな労働組合会館の「柱の間」に横たえられた亡骸に、別れを告げに来ているのであった。大人だけではなく、若者も、子どももいた。ユーリーという少年はまだ6歳であったが、熱心な共産主義青年同盟員の兄に連れられて葬列にまじっていた。冷え込みがきつく、あちこちで焚火が燃されていた。兄はあとで父親から、「お前はちっちゃいやつをどこへ引っ張っていったんだ。こいつは頬中しもやけになってるじゃないか」と怒鳴られた1

 棺の中に静かに横たわっていた人は、レーニンといった。ユーリー少年が生まれたのと同じ1917年に十月革命を成功させ、それから6年程の間、ロシアの最高権力者であった。彼のもとで旧ロシア帝国は、ソヴィエト・ロシアとなった。

 革命を経たとはいえ、ソヴィエト・ロシアは皇帝たちのロシアに似ていた。第一に、広大な領域と多様な住民集団をもつ点で。第二に、統治者を縛る法がない点で。この二つの指標をもって、筆者は「帝国」という言葉を使いたい。ソヴィエト・ロシアは20世紀の帝国であった。そしてレーニンは帝国の創始者である。

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