プロローグ
1924年1月下旬、雪で白くなったモスクワの中心部に、幾重もの人の列が伸びていた。みな労働組合会館の「柱の間」に横たえられた亡骸に、別れを告げに来ているのであった。大人だけではなく、若者も、子どももいた。ユーリーという少年はまだ6歳であったが、熱心な共産主義青年同盟員の兄に連れられて葬列にまじっていた。冷え込みがきつく、あちこちで焚火が燃されていた。兄はあとで父親から、「お前はちっちゃいやつをどこへ引っ張っていったんだ。こいつは頬中しもやけになってるじゃないか」と怒鳴られた1。
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