「舞台でソ連社会を批判 新しい国家像を模索 演出家のリュビーモフ氏 劇場前に長い列」。『朝日新聞』1977年11月11日付け朝刊の国際面に、このような見出しの大きな記事が掲載された1。タガンカ劇場首席演出家リュビーモフ――レーニンの葬式で頬を赤くしていたユーリー――は、検閲に苦しみながらもソ連で自由な表現を追求する芸術家として、いまや国際的に有名になっていた。ソ連指導部はユーリーの発言を報じる西側メディアの内容に神経を尖らせ、あいかわらず検閲で彼を苦しめ、外国公演の許可も簡単には出さなかった。
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