第3回 スターリン 帝国の育成者(前編)

執筆者:池田嘉郎2024年3月24日
若き日のスターリン(1917年撮影、Wikimedia Commons)

 丘のように積み上がる小麦の穀粒、市場に溢れるスイカや靴や自転車、仲のよい家族のように労働に勤しむ農民。名匠プイリエフによって1949年に撮られた『クバン・コサック』には、社会主義ソ連がたどりついた共同体の夢があますところなく描かれていた。コルホーズ(集団農場)の苦しい現実がどうあれ、プイリエフはソ連農村の暮らしを美しく演出しきった。この叙事詩を演じた俳優のなかには、かつてレーニンの葬儀で寒さに頬を真っ赤にしていたユーリー少年もいた。内務人民委員ベリヤお抱えのアンサンブルで経験を重ねた彼は、笑顔が魅力的なコサック村の青年をはつらつと演じている1

『クバン・コサック』の虚構は、ソ連帝国がともかくも社会主義と呼ばれる新しい秩序にたどりついた、という現実を土台にしていた。帝国の創始者レーニンは、社会主義に確固たる実態を与える前に倒れた。膨大な人命の犠牲をもたらしつつも、新しい秩序を構築したのは別の人物である。ソ連帝国がどこか「家族」のような有機体的イメージをもっている以上、「構築」よりも「育成」という言葉のほうがふさわしいかもしれない。レーニンを引き継ぎ、帝国の育成者となった「悪党」、スターリンの物語を始めよう。

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