倒れる半年前、首相官邸の庭の芝に座り記者団の取材に応じる大平正芳首相[1979年12月29日、東京](C)時事

 1971年3月、大平正芳は『日本経済新聞』に「新権力論」(『大平正芳全著作集3』講談社)というエッセーを発表した。この時大平は何の役職にも就いていなかったが、前尾繁三郎から宏池会代表を引き継ぐことが決まっていた。大平はこの中で、マキャヴェッリの政治哲学について、「運命の奔流を制御して徳の実現に至る手段と術策を工夫し組織しなければならない。そこにいうところの権謀とか術数とかいうものが考えられることになるというのが(中略)骨組みのように私は理解しておる」として次のように書いている。

 権力というものを考える場合でも、権力自体の構造や機能を掘り下げるだけではなくて、それを必要とするより高次のものを予定しておるものだという消息を心得てかかる必要があるように思われる。権力というものが、それ自体孤立してあるものではなく、権力が奉仕する何かの目的がなければならないはずだ。権力はそれが奉仕する目的に必要な限りその存在が許されるものであり、その目的に必要な限度において許されるものだということだ。

 大平は権力を行使するに当たっては、抑制的でなければいけない、大義がなければいけない、目的が明確でなければならないという信念を持っていた。こんなエピソードがある。「四十日抗争」という自民党内を真二つにした大平と福田赳夫の確執の最中、宮澤喜一(のち首相)が初めて東京・瀬田の大平の自宅を訪ねた。必ずしもそりのあわない二人だったが、宮澤はこう激励した。

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