「実は将棋には闘争心はあまり必要ないと思っているんです。戦って相手を打ち負かそうなんて気持ちは、全然必要ないんですよ」 これは本書に出てくる羽生善治四冠の言葉である。プロであるということは勝つことが何より大事であり、そのための闘争心は必要不可欠にもかかわらず、それを真っ向から、しかも将棋界トップの羽生四冠が否定しているなんて……私は久しぶりにしばらく動けなくなるほど強い衝撃を受けた。 将棋とは日本における「勝負」の代名詞とも言える存在だ。「勝負がある。そこに人間模様や人生が見える。だから将棋は面白い」。この方程式があるからこそ、日本人は将棋を身近に感じ、魅了されるのだと思ってきたが……どうやらこの考えは時代錯誤になってしまったらしい。 では将棋というゲーム自体は何も変わらないのに、なぜ勝負の世界が変わってきたのか? その背景の一つに棋士たちの意識の変化が挙げられる。 大山康晴、升田幸三という一昔前の棋士たちは「将棋というゲームを通じ、人間と人間の勝負」をしていたのに対し、現代棋士は「将棋という未知なるゲームの真理を追求する」ことに重きを置き、お互いが知力を尽くし、共同研究するような形で戦っている。無論、そこには結果も伴わなければいけないわけだが、勝利までのプロセスの変化は同時に将棋そのものにも作用してきているようにも見える。

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