第7回 ブレジネフ 帝国の大成者(前編)
2024年7月28日

第二次世界大戦中、東部戦線におけるブレジネフ(右、1937年、Wikimedia Commons)
「私は今すぐ書記長のところに行ってあなたの振舞いについて話します。これはいったい何たることか……」。怒っているのはソ連最初の女性政治局員であり文化大臣のエカチェリーナ・フルツェワ、怒らせたのはわれらがユーリーである。2人の衝突は1969年3月、ユーリーが芸術監督を務めるモスクワのタガンカ劇場で起こった。ユーリーは作家モジャーエフが1966年に『ノーヴイ・ミール(新世界)』誌に発表した小説に基づいて、芝居「しぶとい奴」を上演しようと頑張っていた。コルホーズの労働条件の悪さに耐えかねて脱退を決意し、役人の圧力にも負けず個人の意思を貫き通す男の物語である。ユーリーはすでに1968年春、これを上演しようとして禁止されていた。当時はチェコスロヴァキアで改革運動が進行中で、ブレジネフ率いるソ連指導部は緊張していた。同年8月にワルシャワ条約機構軍がプラハに侵攻し、改革運動は潰された。その延長上でソ連国内の締め付けも強まった。1969年3月のフルツェワとの衝突では、ユーリーは誤解もあって彼女を激昂させてしまい、職も奪われ、共産党からも除名された。
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