
新たな血測定法によって糖尿病の発症や重症化の抑制を狙う医療スタートアップ「Provigate」の関水康伸代表取締役CEOは、日本のスタートアップには世界で勝負できる強みがあると語る。ひとつは高度経済成長期からバブル期までに国内で蓄積された高度な機械設備と人材、もうひとつは米中対立という世界的な情勢変化の中で吹く日本への追い風だ。
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――医療スタートアップ業界で、特に日本ならではの強みといえるものはありますか?
最近は中国が、資金力や技術力の面で急速にアメリカを追い上げ部分的には追い越しています。特に医療は機微な個人情報を扱うので、西側諸国ではゲノムや疾病履歴等を含むデータの収集は人権に配慮しながら時間をかけて進めないといけません。しかし中国は政府が医療やAI技術開発を推進しており、大量のデータに迅速にアクセスしやすい状況にあります。
その中で日本としては、ヨーロッパやアメリカとの連携が医療業界でも非常に重要になるでしょう。最近、半導体業界では日本への再投資の動きが出てきましたよね。地政学的な観点からも、日本のモノ作りが再評価され始めている。それと同じことが、おそらく医療やヘルスケアの分野でも起きると私は考えています。
例えば私たちが開発しているグリコアルブミン(GA)を測るという手法について、アメリカの企業が今から同じことやろうとしても難しいと思います。なぜかというと、精密なバイオセンサーをスクラッチから開発する技術において、モノづくりの土壌が失われているからです。バイオセンサーの試作品を作るのは、実はものすごく難しい。日本は今でも細かいモノ作りが得意なので、そういうところに勝機があります。
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日本にとっては今後10年が勝負
さきほどAIに言及しましたが、日本はAIそのものの開発ではたしかにアメリカや中国の後塵を拝しています。ただ、私はAIの社会実装には3つの要素が必要だと考えていて、勝手に「三種の神器」と呼んでいます。すなわち、センサー、計算機、アクチュエータの3点セットです。自動車の自動運転でいえば、センサーで道路や障害物を感知して、計算機(=AI)で次の行動を考えて、アクチュエータが実際にハンドルやアクセルをコントロールする。ヘルスケアも同じように、まずバイオセンシングがあって、その情報をAIで処理(=診断)して、最後に薬の処方や手術などが行われる。そこまでがセットです。医療の世界では、最初の段階で必要になるセンサーを持ってないとそもそもデータが得られない。その点で日本はすごくいい立ち位置にいます。
AI時代になろうとも、アナログなモノ作りはまだまだ難しい。センサー1個作るにしても、高性能のAIがあれば高性能なセンサーのレシピが一瞬で出てくるかといったら、出てこない。センサーの表面に製膜する際の装置の動く速さ、空気中の湿度や温度、化学反応のスピード、計測機器のコンディショニング。考えるべき要素が無限にある中で、それらを全部コンピュータの中に再現できれば可能かもしれないですが、莫大な計算機資源と電力が必要です。精密な技術を持った職人による試行錯誤のほうが、当面はずっと早いのです。そういった職人技は、簡単に真似できるものではありません。
AIブームの中で、今や最も企業価値が大きい会社の一つは半導体メーカーであるNVIDIAですよね。GoogleやMetaのような巨大IT企業も結局は広告屋さんで、センサーも計算機もアクチュエータも誰かが作らないといけない。そのモノ作りの下地が残っているという意味で、日本にはまだまだ戦いようがあると思います。最近まで、深圳のモノ作りはすごい、製造業はもう全部中国でやってしまえばいい、などと極端なことを言う人がいました。実際、モジュール化されたものの大量生産では中国は世界トップです。すでに求められる性能が決まっていて、「誰が作っても同じ」ようなモノ作りに関しては、中国は強い。ただ、完成品に至る前段階での精密な試作品、あるいはまったく新しい素材などは、日本の方がまだまだ優れています。ハイテクものづくり産業においては、試作品を小規模量産し、高速で試行錯誤を繰り返す必要があります。それには設計から様々な特殊加工の事業者の連携などが必要で、設備と技術者の厚みが必要です。日本は歴史的にそれができる国なのです。少なくとも、まだあと10年は。
高度経済成長期からバブル崩壊前後ぐらいまでは、日本の中央研究所がとても強かった時代でした。しかしその後、選択と集中・オープンイノベーションのお題目のもとに日本の中央研究所は力を失いました。その頃に研究開発費を湯水のように使えた日本の研究者たちは、世界的に見ても一騎当千の人材です。ただ、そういう人たちもすでに60歳前後になっていて、今はまだ第一線で働けるものの、あと10年後にはわかりません。後継者もなかなか育っていません。一騎当千のベテラン技術者がいなくなったら、モノ作りにおける日本のリードも失われる可能性がある。やはりこの10年が勝負で、ここで欧米を表面的になぞらえた「選択と集中」をしてしまうと勝機はなくなるでしょう。日本のユニークネスに根差した競争戦略が必要です。
日本の田舎に行くと、田んぼの中にいきなり立派な工場がドーンと建っていたりします。フラットパネルディスプレイなどはすでに韓国などに全部持っていかれてシェアを失いましたが、かつて隆盛を極めた大手電機の孫請会社が、田舎に生産設備を残していたりする。その中には、もうとっくに減価償却されてバランスシート上は1円になっているものの、実物を見るときれいに整備された20年モノの機械設備があったりします。常にピカピカに磨かれていて、それを扱える55歳くらいの腕利きの職人もいて、丁寧にモノ作りを続けている。彼らも生き残るために必死で新規事業を考えています。
そういう有形無形のアセットに加えて、おそらく地政学的な変化も追い風になる。さきほども医療スタートアップにはデータが不可欠だとお話ししましたが、日本人はアメリカ人などと比べると遺伝的な多様性が低いこともあり、医学的・統計的に綺麗なデータを取りやすい。政治的に西側寄りで、国民皆保険という仕組みがあって、性格も割ときちんとしている人が多い。データ収集の面では今後も欧米と中国のデカップリングが進むでしょうから、そういった状況下での日本の立ち位置、ユニークネスを生かした産業を考えていくべきだと思います。
大学ならではのスタートアップエコシステムをフル活用
――Provigateは本社も東大本郷キャンパス内のアントレプレナープラザに構えています。スタートアップ経営者として、大学における産学連携にはどのようなメリットを感じていますか?
学内スタートアップ企業に対する東大のサポート体制は、やはり日本の大学の中でも頭一つ抜けていると感じます。大学発スタートアップの数自体も、東大が圧倒的に多いですよね。起業することが普通という雰囲気が学内にありますし、大学としても起業家教育やシステム作りを一生懸命やっていると思います。
私自身も産学協創推進本部に色々と助けてもらってここまできました。例えば人の紹介。起業家同士の横の繋がりは大事で、苦しい時に相談したい人、頼りになる人というのは、やはり同じ起業家が多い。スタートアップ企業の経営者はみんな、だいたい一度は同じようなところで悩んだり躓いたりするので、親身になって的確なアドバイスをもらえる可能性が高い。そういうネットワーク作りも産学協創推進本部が積極的にアシストしてくれます。他大学だと、たとえば慶應義塾大学などは同窓会組織の繋がりが強くて、経営者同士のネットワークがうまく機能しているイメージですが、東大は何と言うか、もっとプラクティカルに起業家同士が繋がっている感じですね。慶應の塾生や塾員の皆さんのような溢れ出る愛校心はないのですが、実はこっそりと愛校心あるよね、という感じです(笑)。
人脈が作れるメリットはとても大きいです。やはりスタートアップというのは不安定なものなので、しょっちゅう潰れます。そもそも9割5分は潰れるのが前提という世界です。では、ある会社が潰れた後にそこで働いていた人たちはどうなるかというと、実はスタートアップエコシステムの中でぐるぐる回っています。1回のチャレンジで失敗して人生終わりだったら、誰も起業なんてしませんよね。「ベンチャーキャピタル(VC)は分散投資でリスクヘッジをしているが、起業家はオールインだ!」と鼻息の荒い人もいますが、実はちゃっかり縦の時間軸の中でリスクヘッジをしているのが起業家です。今うまくいかなくても絶対に糧になり、しつこくやり続ければ、いつかは成功します。
同じスタートアップでも事業の中身は全然違いますが、例えば人材募集や資金調達など共通の経営課題も多い。投資家のレピュテーションチェックや、いわゆるバックオフィスの人材をどこで探すか、などです。特に法務・知財・財務・人事・マーケなどの業務能力には汎用性がありますから、場合によっては同じ人材を何社かで共有できたりもするわけです。医療スタートアップだと薬事のスペシャリストや知財のスペシャリストが、別々の3社で担当をやっているケースも時々目にします。弊社にも、他のスタートアップ企業と兼業しているスペシャリストは何人かいます。
あとは場所ですね。弊社の場合、精密なセンサーを試作するための実験環境が必須ですが、そんな実験室を作れるビルなんて民間にはそうそうありません。東京都内で、これだけの実験環境が構築できる施設が借りられるのはとてもありがたいです。このアントレプレナープラザという建物自体が、様々な実験装置を導入しやすい設計になっています。同じ敷地内に医学部や工学部もあって、超一流の研究者と日々気軽に意見交換できるのも、私たちのような医工連携スタートアップとしては大きな強みですね。
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