東大発医療スタートアップ「Provigate」関水康伸CEOインタビュー(上):世界で100兆円「糖尿病医療費」を抑制する「行動変容」の力

全世界の成人の1割が糖尿病を患っており、その治療には年間100兆円のも医療費が投じられている。血糖値をより簡単に、日常的に測るシステムがあれば、患者自身の「行動変容」を促すことができ、将来的な医療費の削減にもつながるのではないか――。そんな発想からスタートした医療スタートアップ企業が、東京大学本郷キャンパス内のアントレプレナープラザに居を構える「株式会社Provigate」だ。
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東京大学発の医療スタートアップ「株式会社Provigate」は、血液中のグリコアルブミン(GA)という物質に着目した測定器とスマホアプリによって、日常的に血糖値を測るシステムを開発している。同社の関水康伸代表取締役CEO(45)に、糖尿病治療の未来像と日本型スタートアップの強みを聞いた。
――Provigateが開発しているグリコアルブミンを使った血糖値モニタリングの特長を教えてください。
私たちが取り組んでいるのは、糖尿病のある方や予備群の方が自宅で血糖をなるべく痛くなく、低コストで、わかりやすく測定する仕組みをアプリと共に提供することで、行動変容をサポートし、糖尿病の発症・重症化を防ぐことです。
糖尿病になると、血糖値を下げるためにインスリンを自己注射するイメージがあるかもしれません。インスリンは非常に強い薬なので、効きすぎると逆に低血糖になって意識を失うなど、命の危険が生じます。ですから、インスリンの適正な量を決定するため、注射の前後に正確な血糖値を測る必要があり、これにはSMBG(血糖自己測定)やCGM(持続血糖測定)といった方法がすでに確立されています。
しかし、一般にはほとんど知られていないのですが、インスリンを使用している人は社会全体で見ればごくわずかです。現在、全世界の成人の約1割が糖尿病を患っているとされますが、インスリンを注射している人はそのうちの約1割、つまり全人類の1%に満たないわけです。そして、国によりますが、インスリンを処方されていない場合は血糖自己測定が保険適用外です。日本の場合、糖尿病のある方の通院頻度は1~3カ月に1度ですから、糖尿病のある人の9割は、年に4~12回程度しか血糖を測定しないことになります。これでは目隠しをされて綱渡りをしているようなものです。
糖尿病で気を付けるべきは合併症です。糖尿病合併症というのは、端的にいうと血糖が血管を傷つけることに由来する様々な疾患です。低血糖と高血糖の間のちょうどよい濃度に血糖をコントロールし続けなければならない難しさがあります。2型糖尿病の治療の基本は、食事・運動の行動変容です。これに合わせて、経口薬が処方され、症状の進行に伴い、一剤、二剤と増えていく。経口薬でコントロールしきれなくなれば、インスリンの自己注射となり、さらに進行すると人工透析になる方もいらっしゃいます。例えば、腎症で人工透析が必要になる人の43%は糖尿病だと言われていて、人工透析には1人あたり年間500万円くらいのお金がかかっている。また失明する人の13%は糖尿病網膜症で、2型糖尿病のある方全体の3.8%にあたります。
日常的に在宅で血糖自己測定をしている人は主にインスリンユーザーです。糖尿病のある方の9割は、相対的に軽症の非インスリンユーザーですが、血糖を測定するメリットがないかと言えばそうではありません。非インスリンの方であっても、血糖モニタリングにより「見えないモノを見えるようにすること」で行動変容が起き血糖管理が改善することが様々な臨床研究から明らかにされています。「糖尿病患者を行動変容に導くのは難しい」という社会的スティグマが根強く残っていますが、今日のSMBGやCGMなどの血糖自己測定法が「痛い」「高い」「わかりにくい」などの技術的課題の方が大きいのです。これらの血糖自己測定の課題を解消することで、糖尿病の重症化と合併症を予防することが出来れば、その社会的なインパクトは非常に大きいといえます。
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社会におけるイノベーションの費用対効果を考える
糖尿病の治療方法は、究極的には血糖というたった一つのバイオマーカーを上手にコントロールするだけです。バランスの良い食事と適度な運動を心掛けて、適切に薬を飲めば、進行をかなりの程度遅らせることができる。つまり、患者本人の「行動変容」が最も重要です。その行動変容を促すために、グリコアルブミン(GA)を使った平均血糖モニタリングが極めて有効なことがわかってきています。
現在主流となっている血糖測定法には、SMBGやCGMなどの自己血糖測定法のほかに、赤血球に含まれる糖化ヘモグロビン(HbA1c)の糖化比率を調べる間接的な手法があります。赤血球の寿命は120日程度であり、HbA1cは直近1~2カ月の平均血糖を良く反映しますので糖尿病診断のゴールドスタンダードの一部となっています。しかし、患者さんが1日や2日、行動変容しただけではほとんど数値が変化しません。その点、GAの場合は半減期が17日間なので、数日から1週間程度の平均血糖に応じてよく動きます。つまり、患者さんが自分のGAの値を自宅で簡単に知ることができれば、食事や運動といった日々の行動変容が数値として目に見える形で反映される。それにより、モチベーションを維持する効果が期待されます。
患者さんが日々、運動や食事に気を付けるなどの努力をしても、その結果が自分で確認できないと頑張り続けるのは難しいですよね。それは患者さんが怠惰なのではなく、モチベーションを維持する仕組みを作ってこなかった、テクノロジーの怠慢です。
――様々な病気がある中で、糖尿病に取り組もうと思ったのはなぜですか?
食事・運動・服薬をコントロールすることで糖尿病の発症や重症化、糖尿病合併症を抑えたり遅らせたりすることが出来ます。それは医療費の抑制に大きなインパクトを及ぼします。現在、世界で糖尿病に関わる医療費が約1兆ドル、合併症を入れるとさらに倍がかかっている。これは世界の医療費全体の1割から2割に相当します。テクノロジーで課題を解決する際は、やはり投資対効果が大きい課題を選ぶ必要があります。そういう意味で、同じリソースを投入した時に社会に与えるインパクトや生産性が、糖尿病ほどわかりやすい疾患領域はなかなかありません。
医療費というのは、基本的にはほとんど“社会的コスト”です。自動車産業を例に挙げると、100万円で自動車を売るとしますよね。その100万円の車を走らせることによって利便性が高まり、さらに別の産業が発展して社会全体として100万円以上の価値が生まれる。このように、いずれの産業にもいわゆる利益創造が重なっていく効果があります。
ところが医療は必ずしもそうはならない。現在の日本の医療費は年間40兆円超ですが、そのうち受益者=患者さんが払っているお金は1割ぐらいで、残りは税や健康保険で賄われています。しかも医療費の大半は現役世代ではなく、高齢者に使われている。ですから、「その患者さんを治療した結果、そこに新たな利益創造があるのか」と問われると、残念ながらなかなか「ある」とは言い切れないケースも多い。要するに今日の医療は、技術が進化すればするほど社会負担が増大するという根本的な矛盾を抱えるに至っています。この問題は世界中で共通しており、「医療=社会負担増大産業」のようになってしまっている側面があります。日本の税収70兆円ほどに対し医療費が45兆円ですから、もはや誰が考えても現状では持続可能と言えません。
そうした中にあって糖尿病の治療は、いわゆる価値創造や社会的な生産性の向上に繋げやすいと思います。例えば日本の医療費に占める割合で循環器系疾患に次いで2位、死亡率ではトップとなっているのが悪性新生物、つまり癌です。癌は発症する部位によってメカニズムや治療方法、治療薬が細かく分断されているので、何か一つイノベーションを起こしたところで、全体の医療に対するインパクトが必ずしも大きくはない。莫大な資金を投入して特定の癌に効く新薬を開発しても、別の部位の癌には全く効果がないというケースが多いのです。
翻って糖尿病の場合、個々人の日常的な行動変容によって様々な合併症の発症を抑制できるため、医療費の抑制という面でも大きな効果が期待されます。
アメリカで糖尿病治療は50兆円市場
――今後はアメリカ進出も見据えているとのことですが、日本発のスタートアップは世界で成功できるでしょうか?
医療機器や医薬品の開発は、「ビジネス」というより「プロジェクト」の要素が強い。「うまくいくかどうかわからないけど、できたらすごいよね」というアイディアに人が集まってチャンスにかける点で、そもそもスタートアップ企業と親和性があります。
「理論的には多分できそうだけど実現に10年はかかる」といったアイディアに、普通のビジネスの感覚ではなかなか手を出さないわけです。だけど、それをやろうと思う酔狂な人たちが集まってプロジェクトを立ち上げる。私たちの取り組む糖尿病でいえば、「安くて、痛くなくて、誰でも簡単に使える、わかりやすい血糖計があったらいいよね」というアイディアがまず中心にあって、その周りに人が集まっています。
そのときの立場は、リスクとリターンの観点から、みんな平等です。私のような起業家もいれば、開発メンバー、サンプルを提供して下さるボランティアのみなさん、協力して下さるお医者さんもいる。プロジェクトへの関わり方は人ぞれぞれで、自分の人生丸ごとかけている人もいれば、できる範囲で部分的に関わっているスペシャリストもたくさんいます。投資家はお金というリソースをかけているわけですし、行政も公的な立場からサポートしてくれる。でも結果的に開発できなかったら何も残らない。みんながそのリスクをわかった上で、自分がかけられるものをフェアにかけていく。フェアネスはスタートアップの本来あるべき姿です。
こういう仕組みを長年、大規模にやってきたのがアメリカという国です。アメリカはリスクマネーの供給量が圧倒的に大きく、ベンチャーキャピタル(VC)だけで2021年には2000億ドルを超えています。かたや日本におけるスタートアップ投資は全体でも1兆円ぐらいしかない。だから、同じアイディアに同じくらいやる気のある人が集まっても、お金の部分で参加する人が圧倒的に少ないので、最終的には資金力の差で負けてしまうことになる。
よく会社は株主のものだとか、投資家は利益を出してナンボなどと言われますけど、特に医療系のスタートアップにおいては、集まったメンバーは基本的に対等です。開発者も投資家も、それぞれの役割が違うだけ。ですが、全体のバランスという点で、やはり日本の場合は投資家の参加、リスクマネーの供給量が足りていない。それ以外のアイディアや人材は十分に世界レベルです。
弊社の場合、国の助成金を上手に使いながら、VCや民間企業からもお金を集めてきて、それらをうまく合わせて何とかここまで来たという感じです。
それでも世界で戦うには全然足りていないので、次のフェーズは海外、特にアメリカに打って出て、さらなる事業展開に必要な資金やデータを集めていくつもりです。ここから先のフェーズに移るには、海外での資金調達は必須です。海外の方がチャンスも大きいですしね。例えば、さきほども述べた通り、日本の医療費が全体で45兆円規模なのに対して、アメリカの医療費は糖尿病関連だけでも4000億ドルを超えています。それほど巨大なマーケットなので、やはりお金も人もどんどん集まる。そういった市場で勝負しないと、本当に世界で使われる商品にはならないと思っています。
(つづく)