謙虚に生きるということ――「含羞の人」藤波孝生(上)
2024年8月11日

2000年の第43回衆議院議員総選挙への出馬表明に際し、自作の句を掲げる藤波。前年10月にリクルート事件での有罪が確定していた[2000年5月25日、三重県伊勢市](C)時事
新聞記者になって54年。政治家との関係の難しさを実感している。親しくならなければ本音を聞き出せない。親しくなりすぎれば距離感がなくなって事実を評価する目が曇ってしまう。できるだけ公正、公平に見ようという緊張関係を常に保ちながら、厳しい批判者、監視人であると同時に、政治家の肉声、演じている役割もきちんと伝えなければならない。しかも、政治家はすべてをさらけ出して記者と付き合うわけではない。知り得ることは、その政治家のほんの一部にすぎない。
それだけに一人の政治家が政治家人生に終止符を打った時、あるいは人生の終焉にあたって、どう評価するかは、政治家にとってはもちろんだが、評価する新聞記者も問われることになる。中曽根内閣の官房長官や国会対策委員長を歴任した藤波孝生が74歳で亡くなって1年後の平成20年(2008年)12月、『含羞の人』という追悼集が出版された。政治家の追悼本は数限りなくあるが、新聞社、テレビ局の記者が自分たちだけで金を出し合って作った極めて稀な政治家追悼集である。
私自身も世話人代表として、この企画に加わったが、追悼文全体から浮かび上がってくるものがある。リクルート事件で有罪が確定したという拭い去ることのできない負の側面があるにもかかわらず、藤波孝生の足跡、所作、振る舞いが多くの記者に深い刻印を残し、政治家はいかにあるべきか、政治家にとって大切なことは何なのか、政治家と記者の関係はどうあるべきかについて深く考えさせられる。この追悼集の「はじめに――『含羞の人』に贈る」は私が執筆した。なぜ藤波孝生を偲ぶのか、その序文からだけでも分かっていただけると思う。その一部を紹介しよう。
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