新聞記者になって54年。政治家との関係の難しさを実感している。親しくならなければ本音を聞き出せない。親しくなりすぎれば距離感がなくなって事実を評価する目が曇ってしまう。できるだけ公正、公平に見ようという緊張関係を常に保ちながら、厳しい批判者、監視人であると同時に、政治家の肉声、演じている役割もきちんと伝えなければならない。しかも、政治家はすべてをさらけ出して記者と付き合うわけではない。知り得ることは、その政治家のほんの一部にすぎない。
それだけに一人の政治家が政治家人生に終止符を打った時、あるいは人生の終焉にあたって、どう評価するかは、政治家にとってはもちろんだが、評価する新聞記者も問われることになる。中曽根内閣の官房長官や国会対策委員長を歴任した藤波孝生が74歳で亡くなって1年後の平成20年(2008年)12月、『含羞の人』という追悼集が出版された。政治家の追悼本は数限りなくあるが、新聞社、テレビ局の記者が自分たちだけで金を出し合って作った極めて稀な政治家追悼集である。
私自身も世話人代表として、この企画に加わったが、追悼文全体から浮かび上がってくるものがある。リクルート事件で有罪が確定したという拭い去ることのできない負の側面があるにもかかわらず、藤波孝生の足跡、所作、振る舞いが多くの記者に深い刻印を残し、政治家はいかにあるべきか、政治家にとって大切なことは何なのか、政治家と記者の関係はどうあるべきかについて深く考えさせられる。この追悼集の「はじめに――『含羞の人』に贈る」は私が執筆した。なぜ藤波孝生を偲ぶのか、その序文からだけでも分かっていただけると思う。その一部を紹介しよう。
私たちが追悼集を思い立ったのは、単なる懐旧の念からだけではない。藤波さんには「文人政治家」という修飾語が付くことが多かったが、藤波孝生の思想と行動に今の政治家に失われたものを見るからにほかならないからだ。
政治とは究極のところ、権力の争奪戦である。どんな理想を掲げようが、実現されなければ意味がない。政策を実現するためにも権力奪取こそが何よりも優先されなければならない。一方の極にこうした「権力至上主義的権力観」とでも言うべきものがある。
その一方で、政治とは人々の魂を鎮めることではないのか。権力の行使はできるだけ抑制的に行うべきである。人々の考えは決して一様ではない。さまざまな人の多様な思いを慎ましい気持ちで実現すべきではないのか。「謙抑的政治観」とでも呼べばいいだろうか。
「含羞の政治家」藤波孝生が後者の政治観の持ち主だったことは確かだが、おそらくどちらが正しいかという問題ではないだろう。どちらに重点を置くかはその人の生き方の問題であり、多くの政治家はその中間に己の位置を定めているに違いない。願わくは政治とはいかにあるべきかを常に自らに発してほしい。そんな思いも出版の動機だった。
嘘は言わないという誠実さ
藤波孝生は「孝堂」という号を持つ伊勢の俳壇、神風館の二十世宗匠であり、『神路山』『五十鈴川』『伊勢灣』など多くの句集を残した。その句を紹介しながら、「藤波政治」を考えてみよう。
信ずべき人脈があり風薫る
ジャーナリズムに身を置く者にとって最も大切なことは、信頼できる情報に基づいて正確に報じ、的確に批評することである。ところが、政治の世界は毎日が小さな闘争のように展開される。思惑だけが先行し、虚実が乱れ飛ぶのが常だ。その虚実、物事の真贋を見極めながら事実に迫るのは容易なことではない。当事者である政治家に意図的に嘘をつかれたり、意図的ではないにせよ、ミスリードされたりすると防ぎようがないところがある。もちろん個人的な秘事から国家的大事まで、記者に明らかに出来ないことがたくさんあるにしても、誤報しない、させないという一点において、政治家と記者の信頼関係が成り立つことも事実である。
藤波は官房副長官時代、東京・九段の議員宿舎で毎晩10時から1時間、各社の記者と懇談するのが常だった。テーブルには乾き物のつまみとお酒が出てくる。質問が核心に触れた時や答えにくい嫌な質問が出た時、藤波は決まって自分で記者たちのためにウィスキーの水割りを作って回っていた。本当のことは言えない。だからといって嘘はつきたくない。とすれば酒を注いで回って切り抜けるしかなかったのだろう。「ああ、藤波さん、困っているんだなあ」と藤波番も思うのである。
特ダネ、ニュースになるようなことも少なかった代わりに、ミスリードされたり、嘘で振り回されたりすることもなかった。これが藤波孝生の藤波孝生たる所以だった。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。