中東の新しい地政学(後編3):「10月7日」以降の地政学的勝者

執筆者:滋野井公季 2025年6月10日
エリア: 中東
トルコは新生シリアに強い影響力を確保したが、クルド問題が国内に跳ね返ってくる可能性もある[訪問先のトルコでエルドアン大統領(右)と会談したシリアのシャラァ暫定大統領(左)=2025年5月24日、トルコ・イスタンブール](C)HANDOUT / TURKISH PRESIDENTIAL PRESS SERVICE / AFP=時事
ガザ、レバノン、シリア、イラン、ヨルダン川西岸地区、イラク、イエメンーー「7正面」の脅威に対応を進めるイスラエルは、ハマースとヒズブッラーを破り、イランの支援能力を削いでシリアのアサド政権を瓦解に導き、同国からロシアの影響力を排除した。イスラエルは中東で優位な立場を築くようだが、その勝利は本物か。長期的・戦略レベルではむしろ、トルコと湾岸諸国の得たものが大きい。

 

10月7日以前」の中東地政学の歴史を駆け足で振り返った結果、数多の犠牲を払いながらも、この地域は平和へと向けて確かな歩みを進めていた様子が見て取れた。その流れを分断したのは「10月7日」のハマースの越境攻撃――より正確に言えば10月8日以降のイスラエルの報復作戦である。この事案を契機に、イスラエルは戦線を多方面に開き、ヒズブッラーを破り、シリアでアサド政権が瓦解するきっかけを生み出し、イランとロシアを同国から放逐する結果につながった。ハマース、ヒズブッラー、イラン、ロシアーーこれらは戦闘や勢力争いに敗れたのである。

 では反対に「10月7日」後に勝利を手にしたのは誰なのだろうか? 短期的・戦術作戦レベルの評価では、イスラエルは地政学的な勝者と言えるが、長期的・戦略レベルだと得たもの以上に失ったものが大きいとも評価できる。その一方、トルコは特にシリアにおける影響力拡大は顕著であり、湾岸諸国――特にカタールは地域紛争の調停者として最大の地位を獲得したと言える。順に見ていこう。

イスラエル:安全保障と対米関係のトレードオフ

 イスラエルはガザやレバノン、シリアで戦術目標を達成し、支配領域を押し拡げて戦略的縦深性を手に入れたことから安全保障的には明確な勝利と言えるし、政治的延命を図って「10月7日」をレバレッジして7正面作戦に舵を切ったベンヤミン・ネタニヤフにとっては政治的勝利とも評価できる。しかし、国際機関や報道機関、研究者らが衆目一致でジェノサイドと断罪するように、イスラエル国防軍は戦争犯罪を重ね、国家としての信頼を失墜させた。同国のレピュテーションの低下は長期的に影響を及ぼし続けるだろう。短い停戦の後、2025年6月現在も攻撃は続いている。イスラエルの前国防相のヨアヴ・ガラントが言うように「ガザには最早やるべきことは何もない。実のところ、主要な成果はすでに達成された。そこに留まり続けているのは、そこに留まりたいという思惑があるからである」。

 さらに言えば、

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
滋野井公季(しげのいこうき) 東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員研究員 1991年生まれ。専門は国際政治、経済安全保障、イスラーム政治思想。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程満期退学。アルジャジーラ研究所客員研究員、ハマド・ビン・ハリーファ大学人文社会科学研究科客員研究員、外務省専門分析員、コンラート・アデナウアー財団リサーチ・アソシエイト、政策研究大学院大学リサーチ・フェロー、東京大学公共政策大学院共同研究員などを経て現職。
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