中東の新しい地政学(後編2):「10月7日」以前に予見されていた未来/2001~2023

執筆者:滋野井公季 2025年2月16日
エリア: 中東
2000年代に入るとアメリカは中東で3つの戦争を始めた。グローバル対テロ戦争、対アフガニスタン戦争、対イラク戦争である。[サダム・フセイン像を引き倒す準備を行う米海兵隊員=2003年4月9日、イラク・バグダッド](C)AFP=時事
今世紀の3つの戦争に失敗したアメリカが「世界の警察」の座をゆっくりと降りる傍らで、中東に政変の嵐が吹き荒れた。「アラブの春」は政権に対する民衆運動でありつつも、結果的には第三のアクターを巻き込む国際内戦にも発展した。リビア、イエメン、シリアの内戦構造が解決されることはなかったものの、それでも国際政治のアリーナにおける対立関係が終わりに近づいた背景には、アメリカが「アラブ対イスラエル」という最大の対立軸解消を狙った「アブラハム合意」の力が大きいだろう。そして「10月7日」を経た中東はいま、イスラエルとトルコが地域秩序の命運を握る新たな世界線の上にある。

 

対内ジハード運動の勃興と蹉跌 1988〜2001年

 1979年末、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。1978年にクーデターによってアフガニスタンに誕生した共産党政権をイスラーム主義者の手から防衛するために、ソ連は1979年12月に軍事介入に踏み切ったのだった。イラン革命と同年、第一次湾岸戦争(イラン・イラク戦争)の1年前のことである。このソ連のアフガン侵攻・紛争は1989年まで続くこととなった。

 ソ連のアフガニスタン撤退が決まった1988年(撤退完了が1989年)、アフガニスタンにおける対ソ聖戦のために世界各地から結集していたムジャーヒディーンが継戦を望み、パレスチナ人イスラーム学者のアブドゥッラー・アッザームや、ウサーマ・ビン・ラーディン、アイマン・ザワーヒリー(ジハード団から合流)、ムハンマド・アーティフらを中心にアル=カーイダが設立された。この中でもアッザームは、それまでムスリム同胞団の理論家などが唱えていた世俗的な専制に対する革命的なジハード運動とは対局にあるジハード思想を唱え、後世に多大な影響を及ぼしたことから「グローバル・ジハード」の父と考えられている(詳しくはThomas Hegghammer (2020) The Caravanを参照)。世間的にアル=カーイダで最も有名であろうビン・ラーディンは、グローバル・ジハードの最初期には軍事指導者というよりも資金提供者という役回りであった。

 その後、ビン・ラーディンら一行はアフガニスタンを離れ、1992年にスーダンに拠点を移して各地でテロ活動を組織するも、やがて同国政府との関係が悪化し、1996年にはターリバーンが大部分を掌握していたアフガニスタンに帰還し、以後ターリバーンの庇護下でアフガニスタンを拠点に活動を拡大していった(ザワーヒリーは1995年以降は世界各地を転々とした)。

 この1990年代〜2000年にかけて世界各地でジハード運動が組織化され、ムジャーヒディーンのネットワークが形成されていった。しかし、アラブ世界で広がりを見せた国内で革命を目指したジハード反政府闘争は軒並み失敗に終わることとなる。エジプトでは1990年代にムバーラク政権による大規模なジハード運動の弾圧キャンペーンが展開されて各組織は徹底的に排除され、アルジェリアでは「武装イスラーム集団」が1991年〜2002年にかけて政府勢力と内戦を戦うも敗れた。これによって「近い敵」との対内ジハードは退潮し、アッザームやビン・ラーディンが提唱した「遠い敵」との対外ジハードが興隆していった。そして、その潮流が2001年の米同時多発テロへと繋がっていったのである。

アフガニスタン戦争 2001〜2021年とイラク戦争 2003〜2011年

 2000年代に入ると、アメリカはジョージ・W・ブッシュ大統領のもとで3つの戦争を中東で始める。2001年9月11日の同時多発テロに起因するグローバル対テロ戦争(ただし当初は中東を中心としながらもアフリカなど世界規模に拡大した)と、その首謀者である国際テロ組織アル=カーイダを匿っているとして戦線布告した対アフガニスタン戦争、そして大量破壊兵器保有疑惑や相次ぐ条約違反を口実に侵攻に踏み切った対イラク戦争である。

 この戦争の結果、アフガニスタンではターリバーン政権が倒れ、イラクでは24年間続いたフセイン政権が終焉した。しかし、アメリカは短期間で戦闘にこそ勝利したが、その後の占領政策は困迷を極めた。そして、その結末は周知の通りである。アメリカは2021年8月末にアフガニスタンを後にし、膨大なコストを払って放逐し、抑え込んできたはずのターリバーンの復権を許した。イラクでは戦略・地政学的にアメリカの優位性を確保するような新体制を築くことができず、反対にシーア派政党の躍進によってイラクはイランの勢力圏に組み込まれる結果となった。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
滋野井公季(しげのいこうき) 東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員研究員 1991年生まれ。専門は国際政治、経済安全保障、イスラーム政治思想。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士課程満期退学。アルジャジーラ研究所客員研究員、ハマド・ビン・ハリーファ大学人文社会科学研究科客員研究員、外務省専門分析員、コンラート・アデナウアー財団リサーチ・アソシエイト、政策研究大学院大学リサーチ・フェロー、東京大学公共政策大学院共同研究員などを経て現職。
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