中東の新しい地政学(後編2):「10月7日」以前に予見されていた未来/2001~2023
2025年2月16日

2000年代に入るとアメリカは中東で3つの戦争を始めた。グローバル対テロ戦争、対アフガニスタン戦争、対イラク戦争である。[サダム・フセイン像を引き倒す準備を行う米海兵隊員=2003年4月9日、イラク・バグダッド](C)AFP=時事
対内ジハード運動の勃興と蹉跌 1988〜2001年
1979年末、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。1978年にクーデターによってアフガニスタンに誕生した共産党政権をイスラーム主義者の手から防衛するために、ソ連は1979年12月に軍事介入に踏み切ったのだった。イラン革命と同年、第一次湾岸戦争(イラン・イラク戦争)の1年前のことである。このソ連のアフガン侵攻・紛争は1989年まで続くこととなった。
ソ連のアフガニスタン撤退が決まった1988年(撤退完了が1989年)、アフガニスタンにおける対ソ聖戦のために世界各地から結集していたムジャーヒディーンが継戦を望み、パレスチナ人イスラーム学者のアブドゥッラー・アッザームや、ウサーマ・ビン・ラーディン、アイマン・ザワーヒリー(ジハード団から合流)、ムハンマド・アーティフらを中心にアル=カーイダが設立された。この中でもアッザームは、それまでムスリム同胞団の理論家などが唱えていた世俗的な専制に対する革命的なジハード運動とは対局にあるジハード思想を唱え、後世に多大な影響を及ぼしたことから「グローバル・ジハード」の父と考えられている(詳しくはThomas Hegghammer (2020) The Caravanを参照)。世間的にアル=カーイダで最も有名であろうビン・ラーディンは、グローバル・ジハードの最初期には軍事指導者というよりも資金提供者という役回りであった。
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