
権力の行使は抑制的であるべきだという大平正芳の根底には「保守主義」の思想があった。それを支えていたのは、人間とは不完全なものである、という諦念ともいうべきものである。政治学者佐藤誠三郎は「大平正芳の政治姿勢」(『大平正芳 政治的遺産』)で、大平の人間観・社会観に「思想としての保守主義の神髄」をみている。
佐藤によると、思想としての保守主義は、フランス革命の指導者やマルクス主義者のように、人間の完全性を信じ、理想社会の青写真を描いて突き進もうとする急進主義に対する懐疑として出発した。「保守主義者は、人間の不完全性を自覚し、理性や計画よりは、歴史によって鍛えられ、時間の経過に耐えて生き延びてきた、伝統の中にひそむ叡智を尊重し、環境の変化に対しては漸進的・部分的に改善を積み重ねることによって、対応しようとする」。本人の著書『素顔の代議士』から、大平の人間観を紹介しよう。
大体人間というもの程完全でないもの、欠点の多いものはない。神様はよくも、このように欠点の多い人間を、とりどりに創造したものだと驚くのである。如何様にも創り方があった筈だのにその無限の可能性の中から、態々今日われわれがまのあたりに見るような姿に人間を創造されたのだから面白い。神様はその唯一無二の傑作として人間を創造し、人間の歴史を創出されたわけだ。それ程神様が目をかけている人間は、謂わば、欠点だらけというわけである。しかし私は、どうも神様の秘儀が、この欠点の中に隠されているように思われてならない。若しも人間が、完全かまたは完全に近く創られていたならば、一体この世の中はどんな姿になるであろうか。恐らくそれは驚く程退屈な世の中であるに違いない。(中略)世の中は火の消えたように退屈で、無聊を凌ぐに困ってくる。土台、完全といい、円満具足というような言葉自体が消え去ってくる。倫理というものがなくなるのである。人間はその技能を磨き、品性を陶冶する必要がなくなってくる。それでは全くたまったものではない。欠点というものは、そのように歴史の原動力であるわけだ。
長い引用になったが、透徹した人間認識というほかない。人間が不完全な存在であるがゆえに、人格的向上が可能であり、歴史が特定の方向に進歩・発展する保証がないからこそ、人間の努力が必要になる。そこに人間の新たな可能性をみているのである。「永遠の今」は大平が最も好んだ言葉であり、書名にもなっている。大平は哲学者田邊元の『歴史的現実』(こぶし文庫)に大きな影響を受けた。
先生(田辺元)によると時間というのは、いつも現在であって、その永遠の現在こそは、常に未来を志向する力と過去に執着する引力との二つの相反した方向に働く力の緊張した相剋とバランスの中にある。(中略)現在こそはわれわれにとって、無限の選択の可能性の中で選ばれた唯一のものであり、かけがいのないものである。したがってわれわれは、この現在に真剣に取り組む以外に生きる手だてはない。しかもその現在は、未来と過去との相反した方向に働く力の相剋の上にあるのだから、過去的な引力を無視して未来をのみ志向することは、いわゆる革命となり、未来に目を蔽い、過去にのみ執着することは、いわゆる反動となる。
戦時下で「国民酒場」と奨学金制度を創設
そうした認識のもとに政治は何をすべきか。初当選から3年たった1956年1月に書いた「大臣と役人」(『大平正芳全著作集2』)で、大臣は公務員制度や行政機構にまつわる大きい改革意図などは持たない方が無難である、自身に危険であるばかりではなく、国のために有害である場合が少なくないとして、次のように語っている。

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