難民申請4回却下でも解体業を経営する「川口市のクルド人」の本音(前編)|「僕らがいなければ建設現場は回らない」

執筆者:三好範英 2023年11月20日
エリア: アジア
埼玉県南部の川口市および蕨市には数千人のクルド系トルコ人が居住すると見られている[2023年07月23日、JR川口駅前](C)時事
埼玉県南部には数多くのクルド人が暮らし、その多くが建設現場での解体工事などに従事している。難民申請を出し続けることで送還を忌避しつつ、結婚して9年になる日系ブラジル人の妻名義で購入した土地で会社を経営しているというクルド人男性へのインタビューでは、日本に住む理由として「子供の教育」「就労の機会」「治安の良さ」を挙げるなど、「難民」の枠では括れない現実が浮かび上がる。

 埼玉県南部の川口市および蕨市にはクルド系トルコ人(以下クルド人)数千人が居住すると見られている。これらの人々は、「トルコで迫害にあって逃れてきて、日本の出入国在留管理庁(入管)から冷酷な処遇を受けながらも、帰るに帰れないでいるかわいそうな人々」といったイメージが一般的ではないか。ただ、現地で取材をすると実態はかなり違う。

 ここでは、川口市で解体業を事実上営むクルド人A氏のインタビューを紹介したい。在日クルド人の発想がよく理解できるように思われるし、出入国管理行政の問題点もまた浮き彫りにされていると思うからだ。

 発言は、在留資格を何とか得ようとするための自己正当化の色彩が強く、そのまま受け取れないところもある。また、A氏の日本語は、理解が困難なところがある。難しい用語は使いこなせないようだ。記事では間違いないだろう、という部分をできるだけ正確に記述するよう心掛けた。

「送還忌避」のため5回目の難民申請中

 埼玉高速鉄道線の戸塚安行駅は、東京都心の永田町駅から40分余り。川口市の北東部に位置する。周囲は雑木林や竹林が残るかつての農村風景と、住宅が混在する。

 面会の約束をしていたクルド人A氏の事務所まで、スマホの地図を頼りに、寺院とそれを取り囲む森の傍らを歩いていくと、外国人らしき容貌の男性が運転する軽自動車が細い道から出てきて通り過ぎていった。多分出てきた道の先だろうと見当をつけて歩いていくと、鉄板で囲われ、トラックや重機が止められた「ヤード」(資材置き場)が並ぶ一角に出た。A氏が事実上経営する解体業者の看板が道の先に見えた。

 A氏とは、今年(2023年)3月21日に地元で行われた、クルド人の新年祭「ネウロズ」の会場で知り合った。「一度、話を聞かせてくれないか」と話しかけると、快諾したので、同月末に彼の事務所でインタビューする運びとなったのだった。

 事務所の中に入っていくと、初老の日本人男性がパソコンの前に座り、奥の部屋には中年の日本人女性が座っていた。2人とも事務所で働く日本人従業員だった。

「雇っているのは20人位。日本人6人。あとキューバ、ブラジル、パキスタン、ウズベキスタン人。在留特別許可の人、普通のビザの人といろいろ。仮放免の人はアルバイトの形にして、ずっとは雇わない。彼らが自分の生活費を稼ぐくらいは、入管も見逃している。会社は成功しており、(周りにあるヤードなど)土地も全部うちのもの。名義は奥さんだけど、事業は基本的に私がやっています」とA氏は説明した。

 この事務所で3時間近く、話を聞いた。まず現在30代初めの彼が日本に来た経緯について。

「両親が最初に来たのが1994年、来たり帰ったりという状況が続いた。うちの家族は最初のころ日本に来たクルド人で、いろいろと人間関係ができた。

 僕が最初に日本に来たのは、2002年3月か4月。日本になじめず、6月か8月だったかに帰った。またお母さんとお兄さんと、2004年9月11日に一緒に来た。

 お兄さんは、トルコで4カ月間逮捕された。それで2回目の日本入国の時は、兄は偽造パスポートで日本に入ってきた。それ以来ずっと日本にいる」

 その後、難民申請を繰り返し4回不認定となり、今は5回目を行っている。A氏は退去強制令書を発付されながら、難民申請中は送還されない「送還停止効」によって日本に在留している「送還忌避者」の一人である。

「僕は(本来は入管施設に収容されるが、健康上の理由などで身柄の拘束を解かれる)仮放免ですよ。解体業の会社は株主になっているだけで、あとは奥さん名義でやっている。株主で会長だが、働いてはいけないといわれている。

 2008年かな、退去強制令書が出ているし、難民申請は5回目を出したきり、インタビューも何にもなし、呼ばれてもない。

(兄も難民認定されていないし)入管は僕の一族にやさしくない。結婚してもう9年で、妻と知り合ったのは、妻が14歳で僕は17歳の時、日本で。妻はオヤジが日本人の日系ブラジル人。子供は娘10歳、7歳、息子4歳がいて、僕以外は定住者の在留資格がある。

 東日本入国管理センター(茨城県牛久市)への収容は、一度もないです。珍しいケースだけど、5回難民申請して捕まっていないのはわずか何人かしかいない」

トルコ地震での支援活動

 インタビューは、2023年2月6日に起きた、トルコ南部ガズィアンテップ市北西を震源地とする大地震の話題になった。トルコ、シリア合わせて5万人以上の死者が出る大惨事となったが、川口市のクルド人の多くがこの震源地の地域の出身である。A氏は自分がいかに被災者救援に尽力したか、熱を込めて語った。

「お父さんは(ガズィアンテップから北に約50キロの)パザルジク出身。僕はお母さんの出身地ガズィアンテップで生まれた。埼玉にいるクルド人の家族で亡くなった人、たくさんいる。

 お父さんはすでに帰国して地元にいる。地震が起きてすぐに僕に電話してきた。パザルジクの自宅の周辺は岩盤が固くあまり被害はなかった。そこで、お父さんは食料や衣料を集めて、トラックに積んで被災地で配って歩いた。

 動画があったかな。(とスマホで物資を配る様子を写した動画を見せる)

 国に早く帰りたい人をトルコ大使館とやり取りして、ここで真夜中、午前0時、1時まで、(航空)チケットを手配してあげて準備していた。パスポートが切れていたら、1カ月くらい使えるパスポートを準備させたりして、帰りたい人は一刻も早く帰らせる活動もやった。最初地震が起きたときは帰る人が多かった。

 政治家に会ったり、ボランティア活動も10年以上やったりしているし、ある程度、(日本社会からも)評価されているんじゃないかと。感謝状とかもらったりしているし。(事務所の壁には新型コロナ対策に協力したとして、奥ノ木信夫・川口市長からの感謝状が飾られていた)

 知事も、最初会ったときクルド語で話してびっくりしたよ。(大野元裕・埼玉県知事と一緒に撮った写真も飾られていた)東日本大震災の時は、宮城県気仙沼に3週間いました。それが見えているかはわからないけれど、まだ捕まってはいない」

 妻が日系人であれば、日本での人道的な状況を考慮して、在留特別許可が認められないのだろうか。

「奥さんが永住者ではないとだめ。奥さんが永住申請を3回出している。行政書士に、奥さんが永住資格取ればあんたも在留特別許可になると言われた。でも、入管では旦那さんが仮放免なので永住は取れませんと。逆に、奥さんが定住者なので、あなたに在留特別許可は出ませんと」

 A氏は私に、資料が挟まったファイルも手渡した。日本における定着性と順法精神があることを訴え、在留特別許可を求め法務大臣あてに出した資料だ。日本人の知人から寄せられた嘆願書50枚、地震の際のボランティア活動の写真、家族の写真、妻の在留カード、妻子の住民票、子供の出生証明書などが束ねられている。

 そこまでして、なぜ、日本にいたいのだろうか。

「トルコの状況も見ているから。向こう(の学校)は学校じゃないなって。日本の学校には、プール、パソコンあるし。僕は川口市の小学校に通学し、当時外国人は一人だったけど、特別の先生がいた。毎日2時間ぐらい日本語を教えてくれた。川口で(外国人が行ける)決まった学校がある。いろんなことをやってくれる。トルコの学校とは比べ物にならない。

カテゴリ: 社会 政治
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執筆者プロフィール
三好範英(みよしのりひで) 1959年東京都生まれ。ジャーナリスト。東京大学教養学部相関社会科学分科卒業後、1982年読売新聞社入社。バンコク、プノンペン特派員、ベルリン特派員、編集委員を歴任。著書に『本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想』(幻冬舎新書)、『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)、『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社新書、第25回山本七平賞特別賞を受賞)など。
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