在留クルド人の故郷「ガズィアンテップ」現地レポート(前編)|「なぜ日本で働けないのか聞きたい」

執筆者:三好範英 2024年7月14日
エリア: 中東
トルコ南東部ガズィアンテップ市から車で1時間ほどのヒュリエット村の小学校では、子供たちが日本語で話しかけてきた(以下、写真はすべて筆者撮影=2024年5月29日)
2000~3000人と言われる日本在留クルド人には、母国での政治的迫害を理由に難民申請する人も多い。故郷でどのような暮らしをしているのか、迫害の実態はどのようなものなのか。トルコ南東部ガズィアンテップ県をはじめ、クルド人たちの故郷の村々を取材した。

 埼玉県南部川口、蕨市では、ここ数年、在留クルド系トルコ人(以下クルド人)の数が増えるにつれて、特に若年層のクルド人による車の暴走行為、騒音、コンビニ周辺での「たむろ」などの迷惑行為が問題化し、暴行、窃盗などの犯罪も起きている。これに対して、主に地元外からやってきた人々による、明らかに排外主義的なデモが川口駅前で行われるなど、やや騒然とした雰囲気になっている。

 彼らが日本に在留する理由が「我々はトルコに帰ると政治的に迫害される難民」という主張だ。かわいそうなクルド人をすべて難民認定せよ、と叫ぶ人々と、クルド人を全て国外追放せよと叫ぶ人々が、地元民そっちのけで街頭やSNSの世界でぶつかっている。クルド人の中には正規の在留資格を得て当地に住んでいる人もいるのだから、すべて追い出せ、という主張がヘイトであることは言うまでもない。

 まず冷静に現実を見る必要があるのではないか。そもそも、彼らがなぜ日本にやってくるのか、トルコの出身地の現状を知ることなしには、難民認定、あるいは非認定の妥当性も判断できないのではないか。

 そんな思いで、2000~3000人と言われる在留クルド人の故郷を取材してきた。私が取材できたことをできるだけ客観的に記述したつもりである。

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日本に住んだことのある人がたくさんいた

「こんにちは」――小学生たちが口々に日本語で話しかけてきた。トルコ南東部ガズィアンテップ市から車で1時間ほどのヒュリエット村の小学校。校庭ではのんびりと牛が草を食んでいて、鳥のさえずりや鶏の鳴き声が聞こえてくる。

 ガズィアンテップ市から郊外に出ると、大きな岩が転がった赤茶けた斜面に、深い緑の灌木、ピスタチオやオリーブの木が点在している。羊飼いに追われる羊の群れが、岩の間を長い列を作って通り過ぎる――幹線道路から枝道に入り、さらに細い田舎道の坂を上がっていくと、レンガ造りの家が並ぶヒュリエット村があった。たくさんの燕が家々の間を飛び回っていた。

 校庭に集まってきた3、4年生12人の小学生は、口々に「兄のうち二人が日本にいる」「いとこが日本人の女性と結婚して日本にいる」など話し、中にはお土産にもらったという1円玉を自慢げに見せる男の子もいる。子供たちの日本在留の親族はすべて川口、蕨市にいる、という。

1円玉を見せる児童

 小学校を離れるとき、子供たちは「さよなら」と手を振った。日本に対して親近感を抱いているようだった。

 ヒュリエット村の次に、1時間ほど離れたガズィアンテップ県に隣接するカフラマンマラシュ県テティルリク村を尋ねた。ここも大半は粗末なレンガ造りの農家が並んでいた。

 大きなトラクターが倉庫に停めてある農家の庭先で老夫婦がたたずんでいたので、トルコ語通訳とともに、近所の人が集まっている「集会所」がないか聞いた。

「娘がいま日本にいる」と妻は言った。日本から来たと言ったので、好感を持たれたのか、夫がトラクターで先導するからついて来い、と言う。

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
三好範英(みよしのりひで) 1959年東京都生まれ。ジャーナリスト。東京大学教養学部相関社会科学分科卒業後、1982年読売新聞社入社。バンコク、プノンペン特派員、ベルリン特派員、編集委員を歴任。著書に『本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想』(幻冬舎新書)、『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)、『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社新書、第25回山本七平賞特別賞を受賞)など。最新刊に『移民リスク』(新潮新書)。
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