パリ移民地区「バンリュー」、社会統合の努力が越えられずにいる「価値」の壁

執筆者:三好範英 2024年1月31日
エリア: ヨーロッパ
移民が多く暮らすパリの「郊外(=バンリュ)」クリシー・ス・ボアのアパート(2023年11月27日、筆者撮影)
移民が多く貧困層が高い割合を占める「バンリュー」=banlieue(大都市の郊外)の再開発に、フランスは過去20年で600億ユーロ(約9兆6000億円)以上を投じてきた。だが、世代を超えて繰り返される暴動は「分断」の再生産を示唆している。社会統合の努力がいまだ越えられずにいるフランス社会と移民集団が持つ価値観の違い、いわばアイデンティティの問題の困難な実情を現場から伝える。

 昨年(2023年)6月、移民系(移民のルーツを持ちながらフランス国籍を得ている人も多いが以下、移民とのみ記す)の若者たちによる大規模な暴動が起きたパリ近郊ナンテール。11月にナンテールや、同じ「バンリュ」=banlieue(大都市の郊外)である移民地区クリシー・ス・ボワ、サン・ドニを歩き、社会の分断が進む状況を実感した。

ナンテールにあるグランダルシュの巨大建物(2023年11月26日、筆者撮影)

 まずはナンテールを目指し、パリ中心部から地下鉄1番線に乗って西方に向かう。終点のラ・デファンス駅で降り、出口の階段を上がると眼前にグランダルシュの巨大建物が飛び込んできた。新凱旋門とも言われる、1989年に竣工した斬新な超高層ビルだ。吹き抜けの空間から東方を望むと、はるか向こうにパリ市内の凱旋門が望める。周りを見渡せば再開発された近代的な高層ビルが立ち並んでいる。移民の若者による暴動が起きた世界とはとても思えない。少し離れたところに貧しい移民地区が広がっているのだろうか。

射殺事件の現場を訪ねる

 暴動のきっかけとなった、警察官による移民の青年の射殺事件は、6月27日朝、このナンテールが属するオー・ド・セーヌ県の県庁の近くで起きた。17歳のアルジェリア系青年ナエル(Nahel)氏が検問で停止命令に従わず車を発進させたので、警察官が発砲した。

 事件のあった場所は、県庁の近くであることは事前に調べておいたので、グランダルシュから西方に、県庁を目指してまっすぐな道を歩いて行った。 

 10分ほど歩き地図にあったロータリーに出たが、射殺現場らしき場所は見当たらない。ここも想像に反して近代的なビルが取り囲む、移民街の臭いが全くしない、無機的とも言える空間が広がっていた。

 きちんとした身なりの母娘と思われる白人(他に適当な言葉がないので、非移民系の通常イメージされるフランス人程度の意味で使う)が通りかかったので、呼び止めて現場はどこかを英語で尋ねた。「あそこよ」と指さした方を見ると、道路標識と思しき柱に確かにしおれかけた花束が数束結びつけてあるのが見えた。

射殺現場に手向けられた花束(2023年11月26日、筆者撮影)

 若い女性は英語をかなり話せるようなので、いろいろと現地の事情を聴いてみた。彼女は25歳。住居、勤務する保険会社ともにすぐ近くとのことだった。

 周りに焼け跡が残る店や家は見当たらない。「日本のニュースで火災や略奪の映像が流れていたのだが、いったいどこか」と聞くと、「もう修繕した。多くの損害は家屋ではなく車だった」という答え。立ち話で彼女との間で交わした主な会話を再現すれば、次のようなものだった。

 Q:「移民の若者は失業問題など現実に不満を持っているのか」

 A:「彼らは仕事をしようとしないだけ。仕事はあるのに」

 Q:「この状況をどう解決するのか?」

 A:「おそらくもっと厳しい規制が必要だ」

 Q:「警察がきちんと仕事をしないと暴動を抑えられないのでは」

 A:「そのとおり。私は恐ろしい」

 Q:「警察の暴力に反対するデモも起きている。フランス世論は分裂しているのでは」

 A:「二つのタイプのフランス人がいる。(暴動を)恐れている人、警察は仕事をしているだけで、政府を助けたいと思っている人。他方で、暴力を働く人がいる。移民だけではないが。私は移民に賛成だ。しかし、移民らが引き起こす暴力には反対だ。暴力は寛容の程度を超えている」

 Q:「仕事をしないで若者は何をしているのか」

 A:「パリでは麻薬。私自身は見たことはないが、麻薬が蔓延していることは知っている。そういうところには近づかない方がいい」 

「どこが移民地区なのか」と聞くと、「あのビルの後ろが、移民がたくさん住んでいる場所」とロータリーの向こう側の一角を指さした。

移民地区にあったGAZAの落書き(2023年11月26日、筆者撮影)

 お礼を言って、花束が手向けられている場所の写真を撮り、移民地区と言われた方向に歩いて行ったが、ここも予想に反して近代的なビルが立ち並ぶ空間だった。暴動のシンボルともなったNahelという名前や、イスラエルの攻撃を受けるガザへの連帯を示すGazaといった落書きが、いくつかのアパートの壁に殴り書きされているのが、そこが移民地区である唯一のしるしであるように思えた。

自分をフランス人と感じない若者たち

 住宅街の奥にRER(地域高速鉄道)の駅があり、その背後にはナンテール大学のキャンパスが広がっていた。日曜日ではあったが、キャンパス内を歩いていると、眼鏡をかけたアラブ系に見える長身の青年が通りかかった。

「日本のジャーナリストだが、移民の現状について話を聞けないか」と話しかけると、 英語はほとんど話せない、と言いながらも、スマホの自動翻訳機能を使って丁寧に応対してくれる。「兄は英語ができる。これから寄宿舎に会いに行くので、連絡して来てもらおう」。

 寄宿舎に向かって歩いていくと、やってきたのが兄ハムディ・ベラウバチルさん(20、以下ハムディ)で、彼らはもともと西サハラの一家という。両親が独立運動の活動家でスペインに亡命し、本人はスペインで生まれたが、スペインの経済状態が悪化したために7年前、フランス西部の町アンジェに家族ともども移住した。

 英語は片言だったが意思疎通はできたので、キャンパスから歩いて5分ほどの暴動の現場を案内してもらった。

「こんな風にビルの陰に隠れて暴動の様子を撮影した」とハムディは、スマホで構えてその時の様子を再現した。

暴動現場を示すハムディ・ベラウバチルさん(2023年11月26日、筆者撮影)

 撮影した動画や写真を見せながら、「若者は打ち上げ花火を水平撃ち。私は暴動に加わったわけではないが、警察から暴れている若者と一緒にされかねないので、とても危険だった。警察は恐怖を感じており、もし誰も見ていなければ、私を撃ったかもしれない」と緊迫した状況を振り返る。

「インスタグラムなどが暴動や略奪の光景を拡散した。警察は政府の機関、県の役所を守ったが、ブティックとかレストランを守る余裕はなかった。暴徒のほとんどが13~16歳の若者で、警察は最初どう対処していいかわからなかった。若者たちは夜間、やりたい放題だったが、時間がたつにつれて、警察もうまく対処できるようになった」

 そこから5分ほど歩くと、移民が多数住むアパート群だった。一角にある若者たちが集まる集会場の建物は燃やされて、一部が木の板で覆われ、隙間から黒く焦げた壁が覗いていた。それ以外は、Nahelの文字がアパートの壁に大書されているのが目に付くだけで、日本で言えば高度成長時代に建てられた団地のたたずまいだ。

 子供連れのスカーフをかぶった女性は見るが、若者がたむろしている状況はない。「なぜ若い人が見当たらないのか」と聞くと、「たぶん日曜日の昼間だから、家にいるのだろう。移民は、熱心に働いている人もいるが、そうでないのもいる。同じ移民として十把一絡げで報じるべきではない。すべてのイスラム教徒がテロリストではなく、全ての白人が人種差別主義者(racist)ではない」とハムディ。

この記事だけをYahoo!ニュースで読む>>
カテゴリ: 社会
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
三好範英(みよしのりひで) 1959年東京都生まれ。ジャーナリスト。東京大学教養学部相関社会科学分科卒業後、1982年読売新聞社入社。バンコク、プノンペン特派員、ベルリン特派員、編集委員を歴任。著書に『本音化するヨーロッパ 裏切られた統合の理想』(幻冬舎新書)、『メルケルと右傾化するドイツ』(光文社新書)、『ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱』(光文社新書、第25回山本七平賞特別賞を受賞)など。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top