第2部 チェルノブイリの捕虜たち(1) 原発占領
2024年11月29日
夫婦ともに、または親子ともに原発に勤務する家庭も珍しくない。オレクシー・ルトチェンコ(右)と妻ヴィラは一緒に原発に幽閉された。その後、オレクシーはロシアのノヴォジブコフ第2拘置所に移送され拘束期間は8カ月に及んだ(以下、特記のないものはすべて筆者撮影)
2022年2月24日、ウクライナの首都キーウを目指してベラルーシ領から南下を始めたロシア軍は、国境を越え、広大な荒野に足を踏み入れた。1986年に爆発事故を起こし、今なお放射能に汚染されているチェルノブイリ(ウクライナ語では「チョルノービリ」)原発周辺の立ち入り制限区域である。ロシア軍はその日のうちに原発の周囲に展開し、原発に勤務して管理や監視に携わっていたウクライナの技術者や科学者ら、施設の防護を担っていた警備隊員らは、一斉に自由を奪われた。
ロシア軍の主力部隊はさらに南下し、キーウ郊外ブチャでの虐殺を含む数々の戦争犯罪に手を染めた後、4月1日までにベラルーシ領に撤退した。この際、科学者や技術者は解放されたが、警備隊員ら169人は「軍人」と見なされ、捕虜としてロシアに連れ去られた。拘置所や刑務所に拘束され、拷問も受けた彼らのうち、半数あまりは捕虜交換で解放されたものの、まだ多数の人たちが帰国できないでいる。元捕虜と、いまだ解放されない捕虜の家族、原発関係者らに話を聞き、経緯を探った。
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