「ロン・ヤス」関係は日米関係史の1つのピークだった[1986年5月4日、迎賓館で行われたレーガン米大統領(中央壇上左)の歓迎式典。右隣りに立つのが中曽根康弘首相](C)時事

はじめに

 予測不能なトランプ政権2.0といかに向き合うかは世界的なイッシューである。トランプ対策の重要性は、ウクライナやヨーロッパ諸国だけでなく、アジア最大の同盟国・日本にも当てはまる。石破茂首相は2025年2月上旬にドナルド・トランプ大統領との初会談を乗り切ったが、トランプの関税政策や軍拡要求、対中・北朝鮮政策のすり合わせなど課題は山積している。アメリカからみれば日本は信頼に足る同盟国であるものの、アメリカに対して防衛義務を負わないジュニア・パートナーでもある。日本にとって超大国アメリカが非対称な同盟国であることは、戦後外交の宿命といってよい。日米同盟の非対称性にもかかわらず、吉田茂、中曽根康弘、安倍晋三らの歴代首相は、米国大統領と伍して多くの外交的成果を上げてきた。彼らはいかなる戦略を用いてアメリカを説得したのか。歴史と格言から外交戦略をひもといてみたい。

吉田茂とダレス――タイミングをつかむ

ディプロマティック・センスのない国民は、必ず凋落する
 ――吉田茂『回想十年』上巻(中央公論新社、2014年)28頁

 日本を独立に導き、戦後外交の基礎を築いたのは吉田首相であった。独立回復と安全保障をめぐって占領国であるアメリカとの交渉に臨む際、吉田は当初、講和後の安全保障体制について明言を避けた。いわば曖昧戦略であり、1950年6月22日の初会談後にジョン・フォスター・ダレス特使は「彼(吉田)は、まるで不思議の国のアリスのような感じがした」と同行していたシーボルトに不満を漏らした(W・J・シーボルト/野末賢三訳『日本占領外交の回想』朝日新聞社、1966年、223頁)。

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