
軍人時代のベトナムでの活躍ぶりは映画『ランボー』のモデルにもなったと噂された[日本で講演する生前のアーミテージ氏=2022年12月1日、東京都千代田区](C)時事
リチャード・アーミテージが亡くなった。「Show the Flag」、「Boots on the Ground」などの分かりやすい表現で日本に米軍の戦争への支援・参加を促し、ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授らとまとめた政策提言「アーミテージ・ナイ・レポート」で、日本の政策の軌道を徐々に変えた役割で知られる。党派対立が当たり前のワシントンで超党派のジャパン・ハンドラーを束ね先見性のある政策を立案し続けた能力と人格は高く評価される。
アーミテージはなぜ日本に肩入れしたのだろう。防衛コンサルタントを営んでいたから商売上の利益があったと指摘される。しかし、海軍兵学校(アナポリス)卒の海軍軍人として日本の地政学的な重要さを知り、かつてのネオコン(新保守主義)、そして現在のトランプ派が唱える一面的なイデオロギーとは違う深慮がそこにあった。
アーミテージ・レポートの意義
計6回発表されたアーミテージ・レポートの初回は、四半世紀前の2000年10月11日。日本の安保政策を揺さぶった号砲である。その日午前10時、連邦議会上院207号室の発表会場にはアーミテージら共和党、民主党のジャパン・ハンドラーが一堂に集まり、日本人記者団を前に縷々内容を説明した。外交問題評議会の上席研究員だったマイケル・グリーンがテキパキと司会を務め、登壇者が順次自らの責任パートを簡潔に説明した。
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