ネオコンと戦ったジャパン・ハンドラー、逝く――アーミテージの「安保聖域論」が照らすトランプ外交の危うさ

執筆者:杉田弘毅 2025年4月22日
タグ: 日本 アメリカ
エリア: アジア 北米
軍人時代のベトナムでの活躍ぶりは映画『ランボー』のモデルにもなったと噂された[日本で講演する生前のアーミテージ氏=2022年12月1日、東京都千代田区](C)時事
米国の代表的なジャパン・ハンドラーとして知られたアーミテージ元国務副長官が、4月13日、79歳で永眠した。一貫して共和党のために働いたが、海軍士官としてベトナム戦争に従軍した経験から、ネオコンやトランプ派とは異なるアジアへの視点を持っていた。彼のようなジャパン・ハンドラーの退場は日本にとって、独立した対外政策を描く機会であると同時に、貿易と安全保障の問題を切り離す「安保聖域論」に基づく外交文化の終焉も意味するのではないか。

 リチャード・アーミテージが亡くなった。「Show the Flag」、「Boots on the Ground」などの分かりやすい表現で日本に米軍の戦争への支援・参加を促し、ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授らとまとめた政策提言「アーミテージ・ナイ・レポート」で、日本の政策の軌道を徐々に変えた役割で知られる。党派対立が当たり前のワシントンで超党派のジャパン・ハンドラーを束ね先見性のある政策を立案し続けた能力と人格は高く評価される。

 アーミテージはなぜ日本に肩入れしたのだろう。防衛コンサルタントを営んでいたから商売上の利益があったと指摘される。しかし、海軍兵学校(アナポリス)卒の海軍軍人として日本の地政学的な重要さを知り、かつてのネオコン(新保守主義)、そして現在のトランプ派が唱える一面的なイデオロギーとは違う深慮がそこにあった。

アーミテージ・レポートの意義

 計6回発表されたアーミテージ・レポートの初回は、四半世紀前の2000年10月11日。日本の安保政策を揺さぶった号砲である。その日午前10時、連邦議会上院207号室の発表会場にはアーミテージら共和党、民主党のジャパン・ハンドラーが一堂に集まり、日本人記者団を前に縷々内容を説明した。外交問題評議会の上席研究員だったマイケル・グリーンがテキパキと司会を務め、登壇者が順次自らの責任パートを簡潔に説明した。

 提言は集団的自衛権不行使の原則を「同盟の制約であり、解除できれば安保協力が機能的になる」と踏み込み、「より対等な同盟」への転換を日本に求めた。日本が避けてきた問題に切り込むアーミテージの説明を聞きながら、「黒船来航」と感慨を抱いたのを覚えている。

 冷戦が終わって10年余、中東やバルカン半島で戦火は続いていたが、ソ連が消滅し中国は発展途上であり、北朝鮮はまだ核兵器を持っていなかった。核戦争の恐怖は消え、東アジアは平和と繁栄のムードに浸っていた。クリントン政権が「平和の配当」による軍備縮小を語り、日本では国連や地域の多国間安保枠組みを重視する論が広がり、日米同盟を軽視する声も語られたころだ。沖縄県では米兵による少女暴行事件も起きた。理論的に見れば、ソ連に対峙するという日米同盟の目的が失われたのだから同盟漂流は当たり前だった。

 その弛緩した時期に、米側有識者が活を入れてきた。危機への備えに休みはない、という苛烈な安保観こそが超大国を支えている、と感じた。同盟漂流に危機感を持ったジョセフ・ナイが国防次官補の立場で1995年にまとめ、10万人の前方展開の維持を盛り込んだ「東アジア戦略報告」が皮切りとなり、日米両政府が同盟の再定義を行った時期だ。アーミテージらレポートのまとめ役はこの再定義に内外で携わった専門家たちだったから、同盟の将来を描くものとして注目された。

 約1カ月後にはジョージ・W・ブッシュ対アル・ゴアの大統領選があった。再集計騒動の末に連邦最高裁まで当落判定がもつれた歴史的な大接戦だっただけに、私はレポートの意義に気づきながらも大統領選報道に没入した記憶がある。

日本は一流国家か

 2014年に安倍晋三政権は集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を行い、レポートの提言に14年遅れで答えた。猛烈な反対論もでたが、中国の拡張主義的行動、北朝鮮の核ミサイル戦力、そしてウクライナでの戦争という目下の緊張にやがて反対論は下火となった。

 その後のアーミテージ・レポートでもインテリジェンス協力、防衛産業の連携強化、武器輸出三原則の撤廃、日米韓協力、エネルギー同盟、サプライチェーンなど経済安保と多種多層な提言が発せられた。これらの提言は概ね、日本の政策に組み込まれている。

 提言を貫くのは最初のレポートの精神である「対等な同盟」とそのための日本への叱咤激励であろう。2012年の第3次レポートの「日本は一流(tier 1)国家であり続けなければならないが、それは日本次第だ」という厳しい問いかけが象徴する。

 アーミテージは2001年に発足した共和党のジョージ・ブッシュ政権で国務副長官に就任した。ブッシュ政権の外交・安保分野の強者たち「ウルカヌス」の一人である。国務副長官ポストは長官になったコリン・パウエルとの親しい関係やブッシュの父親が1970年代に中央情報局(CIA)長官を務めた時に築き上げた信頼が背景にある。

 アーミテージが国務省のナンバー2に就いたことは、日本政府には朗報だった。それまではホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の日本部長を通して日本側の意向を伝えていたのが、副長官に直接電話をかけ政権中枢に主張をアピールできたからだ。その後の9・11テロでの「Show the Flag」、イラク戦争での「Boots on the Ground」など「米国からの圧力」として物議をかもす発言は、こうした親密な日米関係の中で生まれた。ブッシュ大統領と小泉純一郎首相の蜜月関係もあり、日本側もかつてなく米側の要望に応じる態勢ができていた。「これ以上の良好な関係はない」と日米双方が称えた。

なぜ日本を大事にしたのか

 アーミテージが最初に日本の重要さをワシントンで唱えたのは、1987年のレーガン政権時代に表面化した東芝機械事件である。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
杉田弘毅(すぎたひろき) ジャーナリスト・明治大学特任教授。1957年生まれ。一橋大学を卒業後、共同通信社でテヘラン支局長、ワシントン特派員、ワシントン支局長、論説委員長などを経て現在客員論説委員。多彩な言論活動で国際報道の質を高めたとして、2021年度日本記者クラブ賞受賞。BS朝日「日曜スクープ」アンカー兼務。安倍ジャーナリスト・フェローシップ選考委員、国際新聞編集者協会理事などを歴任。著書に『検証 非核の選択』(岩波書店)、『アメリカはなぜ変われるのか』(ちくま新書)、『入門 トランプ政権』(共同通信社)、『「ポスト・グローバル時代」の地政学』(新潮選書)、『アメリカの制裁外交』(岩波新書)『国際報道を問いなおす』(ちくま新書)など。
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