朝鮮戦争勃発75年、忘れ去られた日本の「参戦」と犠牲
2025年6月21日

元山沖の「ゆうちどり」甲板での乗員たち=竹川孝男氏提供
北朝鮮が韓国に侵攻した1950年6月の朝鮮戦争勃発から25日で75年。3年間に及ぶ激戦の末、休戦協定が結ばれたものの軍事的対峙は今もなお続く。
日本は公式には参戦していないが、米軍の要請で朝鮮水域に海上保安庁の掃海艇など延べ54隻の船舶と隊員延べ1200人を派遣し、危険な機雷除去作業に従事。1隻が触雷し1人が死亡、18人が負傷した。戦争放棄を定めた日本国憲法の施行からわずか3年半後の出来事であり、この活動は長らく極秘とされた。公式に明らかになったのは30年近く経ってからだった。
情報があふれる現代において、歴史の記憶から薄れゆく秘史を、過去の関係者取材を基に振り返る。
仁川上陸作戦を成功に導く極秘任務

アーレイ・バーク海軍少将(1951年撮影)。後に大将に昇進し、その名は米海軍のイージス駆逐艦の1番艦に冠せられた
1950年10月2日朝。東京・霞が関の海上保安庁長官室で電話が鳴り響いた。受話器を取った大久保武雄長官に、米極東海軍司令部参謀副長のアーレイ・バーク少将が告げたのは一言だけだった。「至急、会いたい」。電話はすぐに切れた。不穏な気配を察した大久保は急ぎ同司令部に向かった。参謀副長室をノックすると、出迎えたバークは大久保を作戦室に案内し、壁一面の地図を指しながら朝鮮戦争の状況を説明した。
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